ナガエ

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たちのナガエのレビュー・感想・評価

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なるほど、とても難しい問題だと思う。

この映画を観た僕の基本的なスタンスを書いておこう。

まず、「事故後の大川小学校や教育委員会の対応が酷い」という点は明らかだと思う。もちろんこの映画は、「遺族側視点」の作品であり、どうしたって大川小学校や教育委員会が「悪く見える」ような視点になる。しかし、その点を考慮しても、少なくともこの映画を観る限りにおいては、大川小学校・教育委員会の対応は酷かったと言わざるを得ない。

しかし一方で、東日本大震災当時の大川小学校の対応については、正直なんとも言い難いというのが僕の感触だ。もちろん、映画の中で「画期的判決」と評された裁判結果も出ているし、映画の中で示される「客観的な事実」を考えてみても、僕も当時の対応には不備があったと感じる。しかし、この点については、ちょっと判断を保留したくなる気持ちもある。その辺りの話は、少し後で触れよう。

大川小学校という名前は、映画を観る前の段階でもちろん知っていた。明確に学校名を覚えていたわけではないが、「多くの児童・教師が津波で亡くなった学校」という記憶はあった。大川小学校では、74人の児童と10人の教職員が亡くなった。74人の内4人については、未だに行方不明のままだ。

しかし、大川小学校で起こったことの詳細については、あまり詳しく知らなかった。

映画を観る限り、当時の状況はこのようなものだったようだ。地震が発生し、子どもたちはグラウンドに避難した。その後、迎えに来る親への対応をしつつ、同時に、津波が来るという情報も入った。大川小学校は海から37km離れた場所にあり、普段であれば津波を警戒するような地域ではない。事実、東日本大震災前に作成されたハザードマップでも、大川小学校付近は津波の心配が無いとされていたのだ。しかし、そんな大川小学校にも、津波が押し寄せると連絡があった。そこで教職員は、グラウンドからの避難先を考える。大川小学校は海抜1m27cmのところにあり、グラウンドにいたら被害に逢うことは明らかだ。学校の裏には林があり、児童たちは普段からその斜面を登って遊んだりしていた。しかし教職員は、斜面に雪が積もっていること、がけ崩れなどの恐れがゼロとは言えないことなどを考え、裏山を避難先とは考えなかった。その代わり、「三角地帯」と呼ばれる、新北上大橋付近の高台への避難を決め、そこへと誘導していた。その最中、津波に巻き込まれたというわけだ。

地震発生から学校に津波が押し寄せるまで51分。繰り返すが、避難に十分な時間的余裕があるタイミングで、津波が到来するという情報も入っていた。それなのに、何故子どもたちは亡くなったのか。

その真実を追究する者たちの奮闘の記録である。

映画は、被害者遺族の1人である只野氏から提供された200時間の映像資料をベースにしながら作られている。只野氏は津波で娘を喪ったが、同時に、津波に飲み込まれながら奇跡的に助かった4人の児童の1人の父親でもあった。「奇跡の生還」と息子が大きく取り上げられたこともあり、この問題からは「逃れられない」と覚悟し、遺族側の中心人物として関わるようになっていったそうだ。

只野氏から提供された映像には、大川小学校や教育委員会の対応の酷さが様々に映し出されている。上映後のトークイベントでプロデューサーは、「映画では使わなかったが、実際にはもっと酷い場面もたくさんあったようだ」と言っていた(プロデューサーは200時間分の素材をすべて見たわけではなく、監督からそのように聞いたという話をしていた)。確かに甚大な問題で、しかも責任問題になるような話なので、学校や市も対応が難しかっただろうとは思う。しかし、教育委員会が関係者から聞き取ったメモを破棄していたり、校長が、津波に巻き込まれながら唯一生存した教師から震災の4日後に受け取ったメールを削除していたりと、常軌を逸した対応が散見された。

校長が、遺族への説明会で、情報公開請求で学校の避難訓練計画の情報を得た遺族から、「避難訓練を実施したのですか?」と聞かれる場面がある。校長は質問に答える形で、「2年連続避難訓練は実施しなかったし、教育委員会には『行った』と虚偽の報告を行った」と認める。その後、「何故嘘の報告をしたのですか?」と聞かれた校長が、「理由は特にありません」と答える場面がある。これも、なかなかナメた返答だと思う。仮に本心からそうなのだとしても、状況的に適切な答え方を選択すべきだろう。

などなど、様々な状況で、「事後対応の酷さ」が伺える。被害者遺族は、「あの時何が起こったのか知りたい」という思いで学校や市とやり取りを続けているのに、学校や市はまったくその思いに向き合わないのだ。そりゃあ不信感は募るだろうし、その説明には納得がいかないという感覚にもなるだろう。

被害者遺族の一部(54家族中19家族)は、後に市と県を相手取った「国家賠償請求訴訟」に踏み切るのだが、彼らはあらゆる場面で、「出来ることなら裁判などしたくない」と語る。そりゃあそうだろう。本来であれば、裁判などしなくても問題が改善されるべきだろう。それが教育の現場ならなおさらだ。

さらに被害者遺族には、裁判にしたくなかった理由があった。

日本の国家賠償請求訴訟は、「賠償請求」というぐらいだから「これこれの損害があるので賠償して下さい」という形でしか裁判を起こすことができない。つまり、「亡くなった子どもたちを金額換算しなければならない」ということになるのだ。この点については、弁護を担当した弁護士・吉岡和弘(もう一人の齋藤雅弘弁護士と2人で担当した)も、被害者遺族の苦しみを代弁する形でそのおかしさについて語っていた。吉岡和弘は、大川小学校の訴訟の話が自分に回ってきたことについて、「本音を言えば、自分以外の誰かに言ってくれたらよかった」と口にする場面があった。それぐらい、最初の時点で困難が予想された裁判だったというわけだ。映画では、じっくりと描く余裕はなさそうだったが、「津波で証拠のすべてが流されてしまっている」という点を考えるだけでも、どれだけ難しいことをしなければならないのかが理解できるだろうと思う。

そんなわけで被害者遺族は、とにかく裁判だけは避けたかった。しかし、もう裁判しかない、という状況になってしまう。第三者の調査委員会も設置されたのだが、被害者遺族が知りたかったことが明らかになるような内容ではなかった。訴訟に踏み切った者たちは、最終的に多額(命の値段に釣り合うかどうかとは関係なく、客観的な金額として)の賠償金を得ることになったが、その事実によって誹謗中傷を受けたりすることもあるのだそうだ。なんというのか、クソみたいな世の中だなと思う。

しかし、最終的には裁判に訴え出たことによって、裁判史上に残る(とまで言えるのかはちょっとわからないが)「画期的な判決」が出された。仙台高裁は、「大川小学校には、平時からの組織的な過失があった」ことを認めたのだ。東日本大震災のまさにその日の「過失」のみながら、そこに至るまでの「平時の過失」を認定したのである。またこの判決は、「学校」や「津波」に限るものではなく、「子どもを預かるすべての場所」に包括的に影響が及ぶようなものになっているという。映画の中で、この判決に関するパネルディスカッションみたいな様子が映し出されていたのだが、その中で東京大学の人が、「この判決がなかったら、1万7000人もの被害を生んだ東日本大震災は、未来になんの教訓も残せなくなるところだった」と語っていた。それぐらい、後世に影響を及ぼすものとして価値のある判決だったそうだ。市と県は最高裁に上告したが、差し戻され、仙台高裁の判決が確定することになった。

被害者遺族の1人が、仙台高裁の裁判官の発言を講演の中で話していた。裁判官は、「学校が、子供の命の最期の場所になるようなことがあってはいけない」と言ったそうだ。あるいは別の遺族が、(恐らく被告側だろう)証人尋問の際に、証人に対して怒りを滲ませる発言をしたことについて話していた。その時に、「自分たちがずっと感じてきたことが、裁判という司法の場でちゃんと伝わったと実感できた」と言っていた。被害者遺族にとっては、お金はもちろんのこと、原因究明さえ二の次だったと言えるかもしれない。「人間として然るべき扱いを受けること」を何よりも求めていたということだろうし、裁判官のそのセリフでそれが実感できたという話は、裏を返せば、それまでの7年間、そんな風に実感できる機会はまったくなかったということを意味していると思う。

なんというのか、その辺りのことは本当に「不手際」だという風に感じる。

さてそれでは、私が判断を保留したいと考える「震災当日の大川小学校の対応」について、思うところを書いていこう。

まず触れておきたい話がある。以前観た映画『ハドソン川の奇跡』についてだ。

『ハドソン川の奇跡』では、実際に起こった航空機事故が扱われる。エンジントラブルを受け、ハドソン川への着水という難しい決断を成功させ、乗客乗員全員の命を救った機長の話だ。

この映画の焦点は、むしろ事故後にある。事故後機長は、事故調査委員会から、「ハドソン川への着水という判断は、本当に正しかったのか?」と問い詰められる。事故調査委員会の主張も、まったく分からないではない。そもそも、川への不時着はもの凄く難易度が高く、危険が大きい。さらに、機体が川底に沈んでしまうことによる経済的な損失もとても大きいのだ。だから事故調査委員会は、「もっと最善の選択があったのにそうせず、ハドソン川への着水という最適ではない決断をしたのではないか?」と機長を追及するのである。

ややこしいのは、事故後に機長が示されたシミュレーション映像である。事故の状況を聞き取った事故調査委員会は、すべての条件を入力し、別の選択肢がなかったのかシミュレーションで検討した。すると、その時のガソリンの残りなどあらゆることを考慮しても、最も近い空港まで飛ばせたはずだ、という結論が導かれたのである。このシミュレーションも機長にとっては大いに不利になった。自身の判断は正しかったと主張する機長と事故調査委員会の対立こそが、この映画の真の焦点というわけである。

映画『ハドソン川の奇跡』を観て僕は、「その時その場所で何がどうなっていたのか知らない人間が、その時の判断に口を出すこと」に対しての難しさを実感させられた。確かに機長は、近くの空港まで飛ばせたかもしれない。しかしそれは、あくまでもシミュレーションでしかない。機長は、その時その場のあらゆる情報を加味し、「ハドソン川への着水がベストだ」と判断したのである。確かにその判断は、最善ではなかったかもしれない。しかし、それほどの緊急事態の最中、「最善」を必ず掴み取らなければならないという批判は、ちょっと厳しいと感じた。もしかしたら、「最善」は他にあったのかもしれない。しかし、すべてを一瞬で判断しなければならない状況下において、「『最善』を選べなかったこと」を批判されるのは、ちょっと厳しいと思った。

そんな風に考えたことがあったので、大川小学校の事例についても、同じような感覚を持ってしまう部分がある。

もちろん、『ハドソン川の奇跡』と大川小学校の状況は大分違う。大川小学校では、児童はグラウンドに40分以上も待機させられた。そのグラウンドから裏山の斜面を駆け上がって安全な場所に避難するまで1分程度しか掛からない。この状況だけ考えたら、当然、「なんで助からなかったんだ」となるだろう。僕だってそう思う。普通に考えたら、命を落とすはずがない。

ただ、やはり、当日その場で何が起こったのかは、当日その場にいた人にしか分からない。確かに結果から見れば、「裏山への避難」が正解だったことは明らかだ。つまりこれが「最善」というわけだ。しかし、裏山への避難も決して「100%安全」だったわけではないはずだ。後から振り返ってそれが「最善」と分かるだけで、もしかしたら山の斜面が崩れたかもしれないし、雪が積もった斜面を上ることで何か問題が発生したかもしれない。結果として裏山は崩れなかったし、恐らく雪のある斜面も駆け上がれただろうと判断されているが、当日その場にいた者たちにとっては、そう判断されなくても当然の何かがあったかもしれない。

『ハドソン川の奇跡』の話と同様、僕には大川小学校の問題は、「『最善』を選べなかったことが批判されている」と感じられる。大川小学校の場合は、「最善」を選べなかったことで甚大な被害が出ているという点が大きく違うが、本質的には、「危機的状況において、『最善』が選べたのかどうか」という話に集約されると思う。

そして、やはりそれは、その時その場にいた者にしか判断できない、というのが僕の感覚だ。

そういう意味で、仙台高裁が「平時からの過失」を認めたことは非常に大事だったと思う。そう、むしろ僕にとっては、大川小学校の問題は「東日本大震災以前」にあると感じるからだ。当日の対応も、確かに問題があったのかもしれない。しかしそれは、「『最善』が選べなかった」ということであり、僕の個人的な感覚では非難が難しい。しかし、防災訓練を適切に行っていなかったり、あるいは「ここまで津波が来るはずがない」という思い込みが強固だったりしたことは、やはり「問題」と捉えられるべきだろう。

この点については、被害者遺族の方の考えとまったく異なるものだろうし、僕の意見はあまり良いものとして受け取られないだろうと思う。しかしやはり僕は、「緊急時に『最善』を選べた者」はもちろん称賛されるべきだが、「緊急時に『最善』が選べなかった者」が批判されることが正解なのかについては今も判断を保留したい気持ちがある。後からなら、いくらでも言える。しかし「その時その場にいた者がそう判断したのだ」という事実は、どれだけ納得いかないものであっても、ある程度以上は「受け入れざるを得ない」というのが、今の僕の感覚だ。もちろんこれは、僕自身が被害者遺族の立場に立った時に、また変わるかもしれない。あくまでも、今はそう思うというだけの話だ。

大川小学校が、「震災遺構」として残されることが決まっているのだが、それは「存置保存」という対応になっている。これは、平たく言えば「ほったらかし」ということだ。長期的な保存のための対応などしているわけではなく、単に「取り壊さないでそのままにしておく」というだけの意味しかない。

そんな大川小学校の現状について、トークイベントの中で語られていた。まさに昨日聞いた話だとかで、プロデューサーも驚いたと言っていたが、現状大川小学校は「コウモリの巣」のようになっているそうだ。市は「コウモリ対策」の予算は計上したそうだが、そんな予算を付けられるなら、適切な保存のためにお金を使った方がいいだろう。そうしないのは、市側に「崩れてなくなってしまえばいい」みたいな気持ちがあったりするからだろうか。穿ち過ぎかもしれないが、そう思われても仕方のない対応ではあると思う。

被害者遺族の多くが、「せめて」という言葉を使うそうだ。「せめて、我が子の死を教訓にしてほしい」と。その教訓を活かすのは、僕たちである。
ナガエ

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