note

ミケランジェロの暗号のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ミケランジェロの暗号(2010年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

裕福なユダヤ人画商一族、カウフマン家が密かに所有するミケランジェロの絵画。それはムッソリーニも欲するほどの国宝級の代物だった。ある日、一家の息子ヴィクトルは使用人の息子で親友のルディに絵画の隠し部屋を教えてしまう。ナチスに傾倒していたルディは、ナチスとして昇進するためにそれを密告する…。

邦題に「暗号」とあるので、まるで「ダヴィンチ・コード」のような謎解きミステリーを連想させるが、中身は幻のミケランジェロの絵画を手に入れる攻防を描いた、ややコメディ風味のエンタメ作品の佳作。
戦時中はナチス占領下にあったオーストリア産の映画だが、戦後半世紀以上経ってようやくナチスを小馬鹿にする描写が出て来たのが楽しく、また感慨深いものがある。

カウフマン一家は絵画(実は父親が用意した贋作)をルディの密告でナチスに奪われ、収容所へと送られてしまう。
一方、ヒトラーは、奪ったミケランジェロの絵画をムッソリーニに贈与することでイタリアとの関係を強固なものにしようとしていた。
しかし、その絵画が贋作だと発覚。

イタリアとの同盟決裂を恐れたナチスはユダヤ系のカウフマンを連れ戻し、隠し場所を聞き出そうとするが、本物の絵画を隠した在処を知る一家の父は、すでに収容所で死亡。
父は収容所の友人に息子ヴィクトルへの謎のメッセージを残していた。
察しの良い人はこの遺言「視界から私を消すな」で絵の在処を確信するだろう。
はなから謎解きミステリーではないのだ。

ルディと共に飛行機での移送中、パルチザンに撃墜されて九死に一生を得たヴィクトルは絵画の在りかも分からぬまま、母の命を救うためナチスを相手に危険な駆け引きに出る。
ナチスを殺しにパルチザン(反乱軍)が来ると嘘をつき、なんとヴィクトルはルディが着ていた制服を騙し取り、ナチスになりすますのだ。
ここからはまるで「王子と乞食」のようにナチスとユダヤ人の立場が入れ替わる皮肉たっぷりのコメディが笑える。

元々育ちの悪いルディは捕虜と勘違いされて散々な目に遭い、ヴィクトルは育ちの良さから毅然と振る舞い、「絵はスイス銀行にある。母親のサインがないと金庫は開けられない。」とナチスを騙して永世中立国に逃げようとする。
ユダヤ人だと外見では判断できず、割礼の跡を探ろうとするナチスの間抜けぶりが可笑しい。
ヴィクトルが死んだと思い、ルディに乗り換えていた婚約者も、再会した瞬間に察知してヴィクトルの策に乗る。
人種でもなく、服装でもなく「人間は中身である」という皮肉が込められているのが面白い。
いつバレるのか?とヒヤヒヤする緊張感もある。

彼の作戦は成功するのか?と思いきや、ルディの上官が気付き、2人は元の立場に。
ミケランジェロの絵画は一体どこにあるのか?
父親が収容所から戻ることを願っていたとするならば、きっと屋敷にあると、ヴィクトルを引き連れて屋敷に戻ったルディはようやく絵を発見する。
(これも父親が用意した贋作)

しかし、絵を見つけた直後、ムッソリーニ政権が終わったとの知らせが入り、同盟の架け橋などと謳われた絵は不要になる。
骨折り損のくたびれ儲けだ。

戦後、ルディがヴィクトルから奪った画商のオークションの目玉としてミケランジェロの絵(贋作)を出品しようとする。
ヴィクトルはオークションの夜、父親の肖像画を形見に貰いたいと申し出る。
ヴィクトルが去る時、またもルディの手に入れたミケランジェロの絵は贋作だとバレる。

絵は父親の肖像画に隠されていた。
父の肖像画を持ってウインクしながら悠々と立ち去るヴィクトルが粋である。

虐げられてきたユダヤ人の逆転劇が痛快だ。
Q.タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」は史実を曲げてヒトラーを暗殺するトンデモない物語だったが、本作は現実に「ありそう」と思わせる作りだ。

第三帝国が崩壊して半世紀以上。
アメリカ映画ならともかく、ヨーロッパでナチスとヒトラーの時代を描くことにはいまだ見識と覚悟が必要とされるはずだ。
ましてやドイツと隣国のオーストリア、その周辺諸国では軽々しく扱うべきではないという人も多いことだろう。
それがどうしたことだ?ナチスが徹底的にコケにされる。
よく見ると監督はドイツ人、脚本はユダヤ人である。
ドイツ人とユダヤ人が歴史を笑う、そんな時代が来たのか?と思うと実に感慨深い。

サスペンスとしてもコメディとしても盛り上げる演出が控えめのため、エンタメとしては佳作であるが、本作の存在は時代の変化を捉えた貴重なモノになるかもしれない。
note

note