ヴレア

君たちはどう生きるかのヴレアのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.0
「君たちはどう生きるか」を読んで
           3年○組 ヴレア

最初に、この本を読む前はなんだかとても難しそうな本だなという印象を持っていて、なかなか読むのには勇気が入りました。
しかし、読み始めてみるとなんと面白くてタメになる話なんだろうと驚き、もっと早く読めば良かったなと思いました。
この本の面白い所はコペル君という15歳の普通の少年が体験したとてもありふれた日常を描いているのに、ふとした事で人生や世界の真理に気付かされるようなとても深い内容だからです。

さて何故コペル君という名前なのでしょうか?勿論本名ではありません。お友達に名前の由来を聞かれても笑ってごまかすだけで教えてくれません。そのあだ名を付けたのは他ならぬ彼の叔父さんでした。名前の由来については是非読んで確かめて欲しいなと思うのでここでは省きます。

この叔父さんというのがコペル君にとっていかに大きな存在だったか。この作品を読むうちにどんどん明かされて行くのです。
コペル君は学校など日常生活で、何か疑問に感じたら叔父さんに聞いてみます。
すると、叔父さんは何でも分かりやすく答えてくれるのです。
例えば、コペル君がこの世界において人間はなんて小さな分子みたいな存在なんだろうと感じると、叔父さんは人間が大人になるという事を地動説と天動説に例えて教えてくれます。簡単に言うと大人になると都合の良い事しか見えなくなり、子供の頃の考え方とは変わってしまう。自分の都合ばかりで物事を判断しては物事の真理が分からないという事を教えてくれるのです。

それから、コペル君がクラスの中で家が貧乏で皆からいじめられている浦川くんという子に対してとった態度とその事に対しての叔父さんの話もとても心に残りました。
浦川くんは家が豆腐屋さんで毎日弁当に油揚げが入っている事からアブラゲとあだ名をつけられてからかわれてしまいます。
でも、浦川くんは家で毎日しっかりと家業を手伝っていて、とても偉いです。
叔父さんは浦川くんは既に生産者であり、まだ何者でもない他の子達からしたら尊敬されこそすれ、からかうなんて間違っているのだと教えてくれます。
私は本当にその通りだなと、感心しました。他の子達は家で仕事を手伝っている訳でもないのに、頑張っている浦川くんを家柄の違いで差別してからかうなんてあってはならない事だなと思いました。
叔父さんは浦川くんとコペル君の違いはなんだい?と問い掛け、それでいてちゃんとどのように考えれば良いのか教えてくれます。
人間であるからには例え貧しくても、例え豊かでも人間としての値打ちにしっかりと目を付けていかなければならないと。
そして叔父さんは、コペル君は浦川くんを下に見ることは決して無く、常に対等な立場で接していて彼の優しさに気付いたからこそ仲良くなった。それは本当にそれは素晴らしい事なんだよとコペル君を褒めました。


と、ここまで書いてきてある事に気が付きました。ここは「君たちはどう生きるか」の映画についての感想を書くところだったと言う事に。
でも、この本は一見映画とは全く関係無いようでいて、物事の考え方とかとても共通点があるし、この本を読むのと読まないのでは映画の見方が変わってくるような気がしました。

では前置きが長くなってしまいましたがここから映画の感想を書いて行きたいと思います。



「君たちはどう生きるか」を観て
            3年○組 ヴレア


(ネタバレ注意)

まず始めにこの映画の目的は何なのかと言う事が気になりました。
主人公の眞人君はお母さんを戦争で亡くした事で心を痛めていて、助けられなかった事を悔いています。
そして、新しいお母さんがやって来るのですが馴染めなくて極端な態度を取ってしまいます。
お父さんにもっと自分の事を見て欲しいという思いからわざと自分を傷付けたりもします。
これは、自分には経験の無いことですが、見ていて本当に辛かったんだろうなと涙無くしては見られませんでした。
そして、新しいお母さんがある日行方不明になり、アオサギという眞人君をそそのかす存在が現れます。アオサギは君のお母さんに会わせてあげるというのです。

最初の目的はお母さんに会う事でした。
お母さんに会う為アオサギの元へ行くと実はそれは嘘だった事が分かりました。
そしてアオサギは眞人を殺そうとします。
眞人もアオサギと闘います。
その後、大叔父という眞人の肉親が現れ、眞人達を異世界に飛ばします。
この辺から訳が分からなくなりました。
何故この世界では死人が半分くらい居るのか?
何故鳥たちが人間を襲うのか?
死後の世界なのだろうか?
様々な疑問が押し寄せます。

そして、その世界の秘密が段々と分かってきます。眞人と一緒に入ったはずのお婆ちゃんが若い姿で登場したり、お母さんも自分と同じくらいの少女として現れます。何故か火の魔法を使えますがその理由はよくわかりませんでした。
鳥がたくさん出てきたり王様なのはポール・グリモーの「やぶにらみの暴君」(「王と鳥」)の影響なのかなと思いました。「カリオストロの城」でもその作品から影響を受けていたのできっと監督の好きな作品に違いないと感じました。

そして、どうやらこの世界には色んな番号を割り振られた扉が有り、それぞれが来た世界(時代)へと通じていたのです。
つまりこの世界は様々な時代へ行き来できる世界であったのです。
普通ならまったく訳がわからないような話ですが、そうでもありません。
何故ならそれはマルチバースと呼ばれていて最近流行りのジャンルだからです。
「スパイダーバース」という作品では、あらゆる時代からスパイダーマンがやって来て1つの世界で闘うというのが面白かったですし、アカデミー賞を受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」という作品では、様々なマルチバースの自分から意識を移して闘うというのがとても斬新でした。
これらの作品以外にも様々なマルチバースを扱った作品を見ているので、とても簡単に入って行くことが出来ました。

ただ、この作品における目的を考えた時には少し分かりにくいなと感じました。
単純にお母さんを助けるという話ではなかったからです。

この世界に連れてこられた目的は実は大叔父さんの目的の為でもあったのです。
それは、この世界を継いで欲しいという話でした。この世界は一体何の為に存在してるのか分からないし、継ぐ事でどうなるのかも説明されないのでそこがよく分からないなと感じました。
それに本当にこの世界を救うという話をメインとして考えた場合、マルチバースものなのに人が少なすぎるような気がしました。
せっかくあれだけ扉があったのだからもっと沢山の時代から色んなスパイダーマン…じゃなくて色んなお婆ちゃんとか助けに来てくれていたらなんとかなったのになぁと思いました。


ここで再び「君たちはどう生きるか」という本に話を戻すと、コペル君は様々な貴重な人生経験を経た後、本当にいい人間にならなければならない。全ての人がおたがいに友達であるような、そういう世の中が来なければ行けないんだと思うに至ります。

きっとこの映画の眞人君も本当に大切なものに気付いたからこそあの選択をしたんじゃないかなと思いました。例え、待っているのが辛い未来だとしても、たがいに支え合えば良い未来を作れるのだと、そういう希望を感じたからじゃないかと思いました。

私もコペル君や眞人君のように立派な人間になれるように大事なことを見過ごさないで生きていきたいなと思いました。
ヴレア

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