こーひーシュガー

君たちはどう生きるかのこーひーシュガーのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

⚠本作の他に『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』『すずめの戸締まり』について一部触れています⚠

宮崎駿本人も訳がわからないと言っている作品を凡人がどうしたら理解できるだろうか。いやできない。
難しい、むずすぎる…
エンドクレジット始まった瞬間頭の上にはてなマークが3つくらい出てきた。映画館から家までの道中ずっと頭の上にはてなマークがあった。

近年のジャパニメーションを観ていて思うのは「喪失感」が共通のテーマだということだ。
特に大切な人、それは恋人かもしれないし、友人かもしれないし、家族かもしれないし、それ以外かもしれない。あって当たり前だと思っていたものが突然なくなることの哀しみ、それを食い止めることができない無力感。

宮崎駿は自然と文明の共存問題、ヒエラルキーなどを描いてきた。
引退を撤回し、宮"﨑"駿としての1作目『君たちはどう生きるか』。
それは実存主義的なタイトル通り、物語も実存主義的に解釈できる。そして宮﨑駿と肩を並べる日本のアニメーション映画監督である新海誠とも比較して解釈してみたい。
まず母を失った眞人は震災で母を失った『すずめの戸締まり』の主人公・岩戸鈴芽と重なる。
そして『すずめの戸締まり』と『君たちはどう生きるか』の最大の共通点。それは〈扉〉である。両作品ともラストに主人公(と準主人公)は扉を通って過去(鈴芽の場合は過去の自分、眞人の場合は若き日の母)と別れを告げる。
『君たち〜』では扉の取っ手を離すと戻ることができなくなる。それは過去と完全に決別することを意味する。扉は過去と今をつなぐ架け橋のようなものである。しかし、一度別れる決心をしたならば、後戻りはできない。
『すずめの戸締まり』では扉の向こう側には過去、現在、未来すべての時間が混在している【常世】と呼ばれる世界が広がっている。そして『君たちはどう生きるか』で眞人が迷い込んだ世界も同じようにすべての時間が混在した世界だった。『万葉集』では浦島太郎における竜宮城が常世とされている。そこは現世とは時間の流れが違う。常世でのわずかな時間は現世では莫大な時間を費やしてしまう。〈時間〉を失うということである。それは一瞬一瞬を大切にというメッセージとして受け取ることができる。
過去に固執し、過去に縋り、過去に依存する悪癖が現代の人々にはある。過去に思いを馳せることが一概に悪いとは言えないが、今この瞬間から目を逸らさせないことが宮﨑駿と新海誠の真の目的なのではないか。

1986年に宮崎駿が監督した名作『天空の城ラピュタ』では人々が憧れる対象は天空、つまり上にあった。
そして今回の『君たちは〜』では眞人が行きたがる場所(いや、行くべき場所と言うべきか)は塔の床が柔らかくなり沈んだように、下にあった(塔自体が宇宙から地上に落下してきたという動きにも注目したい)。
かつて宇宙(上)に憧れ、その憧れを『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』などのアニメーション映画として描いた新海誠が2011年に転換期を迎え、その記念すべき一作目として制作した『星を追う子ども』でも同様に地下世界(下)にこそ真実があると描かれていた。
上昇こそ理想世界(天国)への一歩であるとされていたかつての思考とは正反対の下降を重視する思考に転移している。
イデア界に憧れ、そこを目指そうとした師・プラトンと師の考えに懐疑的になり、現実界こそ我々の居場所だと主張した弟子・アリストテレスの関係のように。

つまり、新海誠と宮崎駿の映画監督人生は同じ方向性なのだ。理想から現実へ、過去から今へ、上昇から下降(あるいは平行)へ。このようなリアリズムの構図が二人の監督の初期作から新作までの経緯と重なるのだ。