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君たちはどう生きるかのogoのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.5
宮崎駿、純度120%。

彼の人生そのものを叩きつけられるような124分。

ジブリ的エンターテインメントの皮を被った、極めて自伝的かつ私的な作品。けれど、万人に向けての大いなる眼差しと愛を感じる作品。

そんな作品に、現代の新たな才能たちが名を連ねていたことも、また素晴らしい。ラストの青空と米津玄師の歌唱のカタルシスよ。

寂しさと、嬉しさと。
最後かもしれないけれど、こんな作品に出逢えた喜び。宮崎駿とジブリとに、今までの全てに、本当にありがとうございました。


『風立ちぬ』から十年。

リアリティ志向で展開するのかと思わされる序盤から一転、中盤から再びファンタジーの世界で繰り広げられる冒険譚になっていたことは、意外でありつつ嬉しくもあった。だって、宮崎駿はやはりファンタジー活劇の人なのだから。

エンタメとして面白いかと言えば、そうした類の面白さは少ないだろう。各種メタファが溢れ過ぎているため、物語のプロットは何処か夢の中を飛翔するように、あちらからこちらへ、物語の角度も速度も変化し続け、観客を丁寧に導こうという意図は感じない。
ある偉人もしくは変態の脳内に、首根っこ掴まれて終始振り回されながら連れて行かれる感覚。

それを心地良いと感じるか、ロジックではなく感性で怒涛の映像と言葉に乗り切れるか。

特筆すべきはやはり、物理法則ではなく感性に訴えかける正に監督ならではの表現の数々の素晴らしさ。

四つん這いで駆け上がる階段、火炎と喧騒に霞む視界、青鷺の膨らむ喉元、生き物の様にしなる弓と矢、彼方の死んだ大船たち、生命をいただく過程と結果、神性と新生を象徴する謎のホワホワたち、反り返ったインコの胸と鼻息、何処までも抜けるような空の青。

正しさではなく、こう見えるこう感じるという、これぞアニメーション!の面目躍如の素晴らしさ。

全てが宮崎ワールド。
今まで描いてきたものたち、夢想してきたものたち、全てをオマージュしながら渾身の力で焼きつけるかのような画面から迸るパワー。

終幕の青空と米津玄師の歌声。

「ああ、これが宮崎駿からの我々に向けた本当に最後の手向けなのかもしれない」と、優しく肩を叩かれたような、寂しさと放心で、暫く動けずにいた。


「君たちはどう生きるか」

一切宣伝を行わなかった本作において、この言葉こそが唯一無二のメッセージとなった。

過去作のキャッチコピーを振り返ると、

「生きろ」(もののけ姫)

「生きる力を呼び覚ませ!」(千と千尋)

「生まれてきてよかった」(ポニョ)

「生きねば」(風立ちぬ)

生きることに連なるメッセージの多さに改めて気づく。

その最後、行き着いた先の答が「君たちはどう生きるか」なのだと思うと、感慨を通り越して震えさえ感じる。

一方通行の「メッセージング」から「問い」へ。

今までも「問い」は裏に隠れていたが、それでも「問い」を上回る強い「メッセージング」は常にあった。親が子から手を離すように、今作では「問い」のみが提示された。

宮崎駿とジブリそのものを描いたような登場人物たちと世界観。それは「俺たちはこう生きた」という絶唱であり叫びであり、「では、君たちはどう生きるか?」という刃を返す問いを観客に向けて終わる。

眞人はまさしく監督自身、大叔父は高畑勲あるいはこれも監督自身、青鷺は鈴木敏夫。ヒミと夏子に象徴される母性。インコは無知な一般大衆。13の積み木は、監督が残してきた作品たち(『未来少年コナン』『カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』そして『君たちはどう生きるか』でちょうど13)謎の石と塔はジブリそのものであり、ファンタジーという作品群そのものでもある。

そして、それらは現実の向こう側の世界として瓦解して終わった。それは果たして敗北なのか、それでも何かを現実に遺せたのか。青鷺が言うように、いつか、忘れられるものだとしても。

「我を学ぶ者は死す」の言葉通り、宮崎駿に学ぶことや真似ることも拒否している。「自分で考えて、生きろ」と宣う。

宮崎駿は、もう我々を導いてくれない。

現実を忘れ楽しむ為のファンタジーを見せてはくれない。夢想に触れ一時の希望を見たとしても、帰って来る場所はこの悪意溢れる現実なのだから。

夢想の中ではなく、現実を生きる。そして、その現実をどう生きるか。

悪意と向き合い、友を見つけ、手が触れる喜びも、手放す悲しみも抱えながら、それでも光さす夢を見る。

最後の最後に、とても大きな重たい問いを置いて、彼は去っていった。
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