愛子

君たちはどう生きるかの愛子のネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

こんな機会きっとこの先もうないだろうと、講義を飛んで公開初日に朝イチで鑑賞してきました。狂ったように何度も何度も繰り返し地球儀を聴きながら、なんとかようやく感想を言語化

全体を通してこの作品は、物語やフィクションの世界を生み出す人たちの営みのメタファーがこめられていると考えていて、わたしは宮崎さんのこれまでの作品から、人の悪意や狡さ、卑しさ、醜さから目を逸らすことなくそれらと真摯に向き合い、作品に落とし込んでいく姿勢を感じていたけれど、短くない創作人生の中で彼本人もきっと大叔父様のように、悪意のない、美しさのみで出来ている世界で生きたいと願ってしまったことがあったのだろうかと、そんな風に感じて、
現実がこんなにも醜く苦しく、生きづらいのだから、せめて物語だけは、フィクションの世界だけは、悪意のない、そして救いのある、どこまでもひたすらにただただ美しいものであってほしいと願ってしまう気持ちも、そんな世界を生み出しそこに逃げ込んでしまいたいと考えてしまう気持ちも痛いほどわかって、けれど、そんな世界にはどうしたって歪みが生じてしまうのも事実で、実際、危うい均衡を保ちながらなんとか成立していた世界は、多くの歪みを抱えきることが出来ず、崩れる積み木とともにあっけなく終焉を迎えてしまう。
美しさのみで成り立つ世界など存在せず、自身の中に生まれてしまう醜い感情とも、思い通りにならない現実とも、わたしたちは、向き合い生きていかなければいけない。

「手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも 飽き足らず描いていく 地球儀を回すように」
この歌詞のように、綺麗なところだけ、美しいものだけ存在する世界を夢想するのではなく、喜びも悲しみも苦しさも楽しさも、それら自身の中に生まれる感情すべてに、目を逸らさず向き合う。そんな覚悟とともに、手を動かし続ける、そして描き続ける。そうやって、描き続けてきた。そんな自身の生き様をわたしたちの目の前に差し出し、わたしはこんなふうに生きました。さあ、君たちはどう生きるか?と、そんなふうに宮崎さんが問いかけてくれていたのではないかと、そんな気がして、これが、今のところわたしが勝手に受け取った気になっているメッセージで。
何かを生み出す側でありたいと願うとき必要な姿勢は、自身の外側に無理やり世界を創り上げることではなく、自身を取り巻く世界を生きていく中で、内側に生まれ構築されていく世界から決して目を逸らさず、まっすぐ向き合う覚悟を固めることなのかなと思います。たとえその世界が醜く見えても、必ず美しい景色だってその世界には存在して、その輝きに、そして醜さからも目を逸らさないその姿勢に、ひとは心うたれるのだと、そう思うから。
宮崎さんはきっとそういうふうに、自身の内側と、そこにある世界と、たとえそれが苦しく面倒な作業であっても、向き合い続け、描き続けてきてくれたのだろうと、そうやって生まれた作品たちだからこそ、多くの人の心を震わせ、そして愛され続けているのだろうと、そう思っています。

わたしはほんとうに、ジブリの、宮崎駿さんの生み出してきた作品が大好きで、それはこれからも、きっとずっとそうで。
たくさんの心震える瞬間、ひとりではたどり着けなかった感情、目に映らなかった美しさ、そして、見失っていたであろうたくさんの大切なこと。それらに気づかせてくれて、出会わせてくれて、本当にありがとうございました。
愛子

愛子