グミぽ

君たちはどう生きるかのグミぽのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

この映画をタイトル通り「生と死の物語」と捉えました。

東京大空襲のシーンから始まり、おそらく初めて人の「死」に触れる眞人。その後、新しい母親である夏子に会うシーンでは言葉を発していなかったが、青鷺に出会うことで徐々に生きる活力を取り戻していく。そのことを象徴しているシーンとして、眞人が水の中から浮上していき水面から産まれベッドに横たわるシーンがある。それ以降も「生と死の境界線」を表す水面や水が度々強調されていた。そこには青鷺と出会ったことで変わっていく眞人が表されていた。
ではなぜ青鷺と出会った後に眞人は活力を取り戻すのか?「鷺」と言われると連想できるのが、エジプトの太陽の神ラーや冥界を司っているオシリス、「不死」の象徴であるフェニックスのような神々。眞人と夏子の食事のシーン(確か)では、ご飯を食べている後ろにフェニックスが書かれたタペストリー(?)がかかっている。青鷺がいることや食事のシーンによって、否が応でも「生と死」が頭に残された。調べてみると、青鷺がモチーフになったとされる「ベヌウ」と呼ばれる聖鳥がいるとのこと。このベヌウがラーやオシリス、フェニックスと深い関わりがある(ベヌウは炎で焼かれると灰の中から復活する、などフェニックスのもとになっている)。
行動的になった眞人は、夏子さんを助けるために異世界?に行くが、そこでも(なんとかの)門をペリカンに押され開けてしまう、魚の解体を手伝う、など生死に関することを連続して体験する。
そして、ワタワタ(?)がペリカンに襲われるシーンでは、死人の魂のようにも見えるワタワタが螺旋状に空に上がっていくがヒミの炎で燃えていく。ここでもまた「死」を体感させられている。話は逸れるが、後のシーンでも夏子の産屋では紙が螺旋状に回っているが紙はボロボロになっていく。「生と死 」「螺旋状」と言われれば輪廻が思い起こされる。しかし、そのどちらも原型が留まらないほどに壊されており、宮崎駿監督は生まれ変わりの類は信じていないのだろうなと思わされた。
このシーンでは「生」のシンボルとしてヒミの「火」が表れる。これ以降、眞人はより行動的に、勇敢に、活発に行動していく。この異世界を夏子さんを助けるために冒険していく。ジャムやドアの色など、赤色が強調され始めたことで、眞人の活力が強くなっていることがさらに見て取れた。
ちなみに、この冒険では、アジア風な建物だったり、ヨーロッパ風な街並みだったり、世界中を旅しているかのように見えた。「生と死」は世界のどこにでも存在しており繋がっている。「生と死」の中にはあらゆるものが存在していると伝えているのだろうと感じた。
また、塔が世界を繋いでいるということで、バベルの塔が思い起こされる。バベルの塔があることで人間は同じ言葉を持つ民族として一体感を持っていた。この映画では、いろいろな時間軸に塔が存在していることで、どの時代にも「生と死」があることを表しているのだろう。
ヒミと冒険していくことで眞人は「生」により近づいていく。夏子の産屋という新たな「生」の誕生に向かって行く。石に襲われ、精神世界?で大叔父に出会いに行く。その道への入口はさながら子宮のようであり、進む眞人は石からチクチク攻撃されていることから、眞人自身が精子として新たな「生」を創り出そうとしているようだと思いながら見ていると、大叔父から世界の創造主になることを提案される(ここらへんで物語のテーマはやはりこれだと思いながら見てました)。
その後、何やかんやあるが世界の創造主になることは拒否をする。眞人は序盤に自分を石で殴ることで「穢れ」の象徴である「髪」を少しだけ剃っていた。しかし、その代償として新たな傷が頭に残ってしまう。この異世界に存在し、新たな異世界を創造する石。この石には意志が存在し、綺麗なままの石でないと世界を創造できない。その中で、穢れの残った眞人は自分はふさわしくないと思ったのか…。ただ、穢れの残った元の世界が好きだから戻りたいようにも思えるし、核兵器などを連想させる強大な力を持った石を拒否したようにも思える。ここはいろいろな解釈があるなーと思った。
そして現実世界に戻ってきたが、映画はサラッと終わる。ここまで「生」の力強さに触れてきた眞人の横に新たな「生」として弟がいる。そしてトラウマのある東京に戻り生活しようとしている。生きる気力が失われていた眞人が精一杯生きていこうと、「どう生きるか」を表しているのではないか。

難しい映画と聞いたので本気で観てレビューしてみました。文学部のみなさん、ぜひこれをレポートに使ってください。漏れなく「可」です。
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