川、水、縁、血、穢れ
ボンボンと文化クラスター、殴ったやつ/あるいは殴られたやつは声優すらあてられない
なんかこれを「判れ、考えろ」ということ自体が傲慢なような気もするし、みんな創作の果てには村上春樹に収斂されるようで嫌だった(時系列がめちゃくちゃなのはわかってて、それでも収斂は村上春樹に向かうと思うの)
作品享受の果てに嫌悪感!あったっていいよね?肯定的な意見をいえるやつこそが創作やアートをわかっている、みたいな、人の名前によって思考のギアをかえるようなのが本当に嫌いなんだと再確認できた、からよかったです。