スパナ

君たちはどう生きるかのスパナのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

宮崎駿監督作品ということで
久しぶりのジブリ作品の鑑賞
(自分でもびっくりするくらい長くなってしまったので、まとめた感想は最後に置いておきます、⭐️で区切ってあります)

劇場で見た最後のジブリ作品は
駿監督の前作に当たる「風立ちぬ」でした
当時は中学生の齢でしたが
爽やかな風に吹かれたような
その風に後ろ髪を引かれるような
そんな感想を抱いていました

さて、今作の感想に戻りますが
まず、冒頭の火災のシーンで
主人公「眞人」の母親の入院している病院が火事になり
そこへ向かうカットの
一心不乱に駆けていく様子で
周りの風景や人だかりが
揺らめいて形がないように写っており
ジブリを熱心に追いかけていたわけではありませんが
今までのジブリ作品にはなかった
焦燥感を駆り立てる描写に
新しさと
そんな表現を80歳を超えた宮崎監督が挑戦していってるのが伝わりました

しかし、眞人のそんな心傷とは裏腹に
新しい母と出会い
自分の下の兄妹までもが存在しており
受け入れ難い現実に打ちのめされます

そんな時、人の言葉を話す青サギが
「あそこにはあなたの母君もおられます」
と言って
家の近くにある塔に誘い込もうとしてきます
そしてあろうことか、新しい彼の母親を人質に取られてしまいます

果たして彼は母に出会い、母を救えるのか
そしてなぜ彼が塔に引き込まれてしまったのか

あらすじとしてはこんな感じでしょうか?

さて、この塔の中での出来事が難解で
監督自身も収拾がつかなかったといった発言もなされていました

そのため、劇中での出来事を
我々のいる現実に置き換えて
メタ的な視点で作品を評価しようとする方々が大勢散見されましたが

私はこの見方は、好きではないです
間違いだとは思いませんが
それは作品を作品そのままに理解することのできなかった人達の
言い訳のようなものだと思います

例えば、
「積み木」は「ジブリ」のことで
今にも崩壊しそうだから、新しい担い手が必要だ、とか
「大オジ」は宮崎駿で、「眞人」はご子息である宮崎吾朗であり
彼の成長を促そうとしている、とか

確かにそういった意味合いも含まれているのかもしれませんが
そのシーンがそういう意図であると
決めつけるのは物凄く失礼というか
宮崎監督もそういった眼鏡を通して作品が見られることは
屈辱に感じるタイプだと思います

ここからは個人的に咀嚼できた部分をつなぎ合わせた私の解釈ですが

「塔」=「時間」と「空間」、「世界線」を飛び越えることのできるポータルで
だから若かりし頃の女中さんや実の母に会うことができた

大オジ(眞人の家系のご先祖)はそれを支えるバランサーとしての役割を持たされているが
そのバランスは今にも崩れてしまうそう
なので、新しい、世界の均衡の守り手が必要になった

そして、その世界全体を見渡す
意思を持った観測者「石」との契約で
その役目は血縁者でなければならない
そのため、眞人は塔に導かれたわけですが

彼はその役目を担うことはありませんでした

これは、インコ大王による妨害もあったためではありますが
大オジもおそらく、その役目を託すことには
少なからず引け目があったと考えます

その結果、世界が崩れてしまうとしても
彼にその重責を担う義務はなく
眞人の人生は、眞人に決める権利があります

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

長くなってしまいましたので
この作品が伝えたかったのかな、と思うことをまとめると

「自分の世界をどう生きるも、何を自分の世界とするもの自分次第」
これに尽きると思います

眞人が新しい母親を、新しい家族として受け入れるか
先祖が勝手に請け負った仕事を引き継ぐのか
実の母親への未練を断ち切れるのか

その選択は全て彼自身にかかっており
そしてその全ては間違いじゃないです

ただ、その場その場で自分がどう羽ばたくのかは自由ではあるものの
その責任の所在が異なる

これって人生そのものだと思います

何を大切にするか、何を切り捨てるのか
そんなことを考えながら
私たちは生きていくので

劇中でたくさんの種類の鳥が登場していたのは
「君たちはどう生きるか」ということを
翼の羽ばたきと掛けていたものと思います

どんな風に翼を広げてやろうか
そう思案すると
なんとなく未来への希望が見えてきませんか?

辛い時は
「羽休め」って言葉もあります
疲れたら休みましょう
また羽ばたく元気が出たら
その時に、翼を広げればいいんですよ

だってその翼を縛るものなんて
何もないんですから
スパナ

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