このレビューはネタバレを含みます
「生」
この世は綺麗なものばかりではない。
それでも生きていかねばならない。逞しく生きていかねばならない。
宮崎駿はそう伝えたかったのではないだろうか。
塔の中の世界はこの世界の全てだ。
魚を切り裂くのも、石が怒っているという表現も、ペリカンを埋葬する場面も。
ヒミはペリカンを退治するために火を放つ。その火はワラワラをも包み込むが、それでもよりよい世界を求めて火を放つ。綺麗事では済まない、それでも判断して進んでいかねばならないのだ。
自分の頭の傷を「これは自分の悪意だ」と眞人は言う。心配して欲しい、甘えたい、そういう自分の弱さや醜さを受け止めて他者に伝えた姿に成長を感じた。
ヒミは強い。死が待っているにも関わらず、眞人の母になることを心待ちにしている。生きていくことに前向きな子どもの姿のヒミが眞人と別の扉を開く場面では少し涙が出た。
二つのお守り。あれはどういうことだろう。
道端の石こそ真実であり、見守って支えてくれる人がいること、一人では生きていけないことを物語っている気がした。
『君たちはどう生きるか』という題に対して、宮崎駿は決して塔の中で生活することを否定していない。それも儚いもの、綺麗なもの、大切なものを守っていくための生き方である。それでも、誰かに嫌われたり勝手に大人が決めてしまった理不尽な世界だとしても、傷つく世界だとしても、それでも世界は美しいのだ。そんな世界で生きていかねばならない、そう伝えたかったのではないだろうか。
眞人の足を止めずに進み続ける顔が逞しく美しかった。