レインウォッチャー

インフィニティ・プールのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

インフィニティ・プール(2023年製作の映画)
4.0
「悪魔に眉毛を売り渡した女」ことミア・ゴス怪進撃、間違いなく今年の《ごきげん枠》です。やったぜ。

やっぱりわたしの映画ライフにはエログロが必要なんだと強く再認識すると同時に、エロandグロでもエロorグロでもなくエロisグロな流石の高解像度に甘露甘露のご満悦である。

開幕からゴダール的原色齣の連打で予告され、明るく開けたリゾート地らしき舞台と認識したSiriから募り集いツモられ続ける不穏、キモ回転、キモ仮面、キモ劇伴。水面はどろどろと蠢き、島には嵐の気配。
妻と休暇中の書けない作家ジェームズ(A・スカルスガルド)の前に現れるのが、なんともファム・ファタル然とした女ガビ(M・ゴス)とその夫だ。早々に仲良くなった二組が、ドライブ中に島民を誤って撥ねてしまってからどんどん話が狂っていく。

ここまでだと、「『ラストサマー4』かな?」って感じなのだけれど、ここから何段階かの切り離しロケット展開を見せて暗黒宇宙へと驀進する。この国では過失であろうと殺人は死刑、と即宣告されたかと思ったら、でも金持ち客には裏でクローンの身代わりを提供していて〜、と来たもんだ。

クローンとか言い出すと、ははぁん「果たして俺は本物かコピーか」モノかな?と予想を立ててみたりするわけだけれど、当然そのへんの定番要素も押さえつつ、あれよあれよとあらぬ方向へ振り切られて予想がつかない。サスペンス?SF?ホラー?おいおいそっちは崖ですよ!

兎にも角にも順調におかしくなっていく主人公、クローンが作られる過程や、謎のクスリをキメておっぱじまるサイケデリックセックス(これほど響きの良い言葉があるだろうか)(いやない)など、ネオンライトの乱反射と増殖する合わせ鏡の中で繰り返される悪夢描写は、なァんてクローネンでバーグなんでしょう、と感じ入るほかない奇想とナマの質感を重視した手触り、そして心身が《変容》していくことの探求に満ちている。前作『ポゼッサー』から更に父上デヴィッド様に寄せたような感じもあるな。

『ポゼッサー』から通じているのは、「生死の往来を通して露わになる本能としての暴力」みたいなもの、そしてその先にある《解放》であると思う。なんというか、直感的には藤子不二雄A先生のセンスを思い出したりもした。黒いオトナの寓話だ。

自身のクローンが殺される様を見届けた主人公ジェームズの中で芽生える「何か」、《死》を擬似体験することがもつ焼き切れんほど甘いエロティシズム。
究極的にいえば、セックスは《死》へと近づくことだ。人間があるひとつの生殖を成すことは、同時に他の多くの可能性を殺すことでもあるし、自身がやがて死ぬ(次の世代へ移る)ことを前提とした営みだから。それ故にエロisグロなのだし、逆説的に暴力や殺し(自殺他殺問わず)はセクシュアルな誘惑を含んでいる。このことを、監督ブランドン氏は(クローネンバーグ家は)わかってくれる人なんだろうなと思っている。

『ポゼッサー』も今作も、死と生の反芻の果てで主人公はある種の生まれ直しを経験する。そんな《解放》はどこかポジティブとすら捉えられるものだ。あれ?やっぱりこれってリゾート&バケーション映画(※1)だったのかも。

しかし、今作はそこですっきり終わらせてはくれない。果たしてあのラストはどう解釈すべきなのか…
「(クローンを)普通は何度か作り直すんだけど、君は一発で成功した」、「来年もここでまた会えることを願ってるよ」みたいなピースから考えると、「そーゆーこと」なのかしらと推察はできつつも、あくまでも委ねられている。

タイトルの『インフィニティ・プール』とは、水面が眼前の風景に溶け込むように設計されたプール(※2)のこと。まさに、生と死、自己と他者、真実と謎が継ぎ目なく交わるこの映画に相応しい。

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※1:タイトルにもプールなんてついてるだけあって(?)、水の表現は随所で光っている。ラストもまさにそうだし、羊水〜血液〜母乳は一筆書きで繋がる。

また雨の使い方も印象的で、ジェームズとガビが黄金のビーチでキスするシーンなんてここだけ切り取れば普通にロマンス。降り出した雨に「雨季が来たわ」とガビの一言、そこからまさに映画の展開も後半戦へとドライブしていく感がある。名雨100選に入れちゃいましょう。

※2:ラストは、この均衡が崩れて「反転」「逆流」したかのよう?主人公の精神とリンクさせてもいるのかも。