ほのか

風の谷のナウシカのほのかのレビュー・感想・評価

風の谷のナウシカ(1984年製作の映画)
3.9

観る前:なんか…空飛ぶ、セグウェイに…乗ってることだけ…知ってる…
始まった:セグウェイに羽生えとう!!!!



齢二十※にして初めてナウシカを観る。

爆発しそうな許せないを、許しと余裕と真理で覆い尽くしている子だな、と思った。

犠牲を生まないために。
そのためだけに彼女は誰も信じない真理を盾に走り出す。出てくる人出てくる人最悪の事態を自ら招いているようにしか見えない行動しかとらないので、何度も心のなかで愚かな…って呟いてしまったけど、この愚かな大多数の人間の思考はあまりにも人間の正常なんよな…。ナウシカの思想の巡り方がひとから逸脱しすぎている。自分がまだ知らない物事、危害を加えてくるひとや虫へ全力で慈しむ気持ちを向けられるということは、彼女の物語を追っていないとそれはあまりにも奇怪に映るわ。

人々が彼女の忠告を聞かず、考えを遇らい、ことが悪い方向に転んでも彼女は決して非難しない。そのことでは暴力や制圧に転ばない。目の前の人の言動に心を揺らさず、その先を案じて風に乗る。
彼女が許せないことは、故郷が、ひとや虫が犠牲になること。許せないけれど自分が復讐に飲み込まれるのは心底恐ろしいと、彼女は言う。
彼女のなかの天秤に「自分」と「自分以外」がのっているとしたら、それは見るまでもなく自分以外が地についてる。対には自分が乗っているはずなのにそれを感じさせないほど振り切っている。
全編を通してナウシカがまわす物語なのだけれど、それにしては彼女自身がどうにも欠けている気がして、とても不思議だったなぁ。
ナウシカには「信じる」だとか「信じてほしい」という言葉が恐ろしいほど似合わないな、と思う。そう在れると「知ってる」でしかなかったようにみえたんやけど、信じるって結局は"自分"の意識やからなんかなと思うとストンと落ちた。信じる代わりに正しく見極める。信じてほしいと思う代わりにこれまで起こってきた過ちであり、これから防げる過ちであり、自分がたどり着いた真理をひとに委ねるんじゃないかな〜と思うなど。


うーん、いっかいだけじゃやっぱりぐちゃぐちゃやな。またそのうち観た時に違った見え方ができたらいいなあと思う映画。言葉を当てはめたり消したりしながら観られる映画はやっぱりたのしい。