家族、ダイナミズム
ずいぶん前に観た映画だから、
レビュー書けるかな、、、
とりあえず、つらつらと、、、
クリムトの接吻で有名なヴェルベデーレ宮殿内に展示されているエゴン・シーレの『家族』という絵画。
そこから感じとれたのは、
家族の持つ良くも悪くも縛られているという、
若干のネガティブな感覚だったりする。
シーレの本意は分からないけれど、
ただシーレのあのタッチには、
そう感じさせるなにかがあった。
だからこそ、一蓮托生だと言わんばかりにがんじがらめな家族をシーレとは逆の視点でポジティブな人間賛歌で描いてみせたのが、巨匠山田洋次監督だ。
積年の夢を実現させるべく南は長崎、北は北海道と日本縦断を敢行した家族の軌跡。
日本産のロードムービーは得てして北を終着点にする。
非常に興味深いところではあるけれど、
いやいや、寄り道はしないでおこう。
長崎の島から、大都会、さらには北の大地と、舞台が移り変わり、それが何だか人生の縮図のようでもある。
九州の港町に、車窓から見える田舎の風景や、大阪万博に、大都市東京、北海道の牧歌的な風情。
それらをダイジェストで振り返ればそのまま日本旅行のパンフレットにでもなりそうなくらい、
日本という国の見せる表情が豊かだということにも気づかされる。
だからと言って家族の道程がただの物見遊山であれば、映画として成り立たないのは言うまでもなく、家族を様々な苦難が待ち受ける。
飛行機などで移動が容易な現代にあっては、なかなか彼らの足取りに現実感を得られないのが正直な感想。
それは、僕が現代人だからということなんだろう。
ただ、そんな僕にでも、高度成長期の最中にあっては人も環境の目まぐるしい変化に翻弄され、
家族の在り方自体もが変化の岐路にたたされていったであろうと想像してみることくらいは出来る。
そして、だからこそ、その変化に抗うかのような家族の純粋さに心が震わされるのだ。
そんな感覚が時代を経ても健在であることこそ、この映画の持つ価値なんだと思う。
シーレと山田監督では人間の捉え方がいささか異なりそうだけれど、
日本という風土が多様性を持つように、
人や家族の多面的な在り方こそが、
したたかであり、力強い。
そのダイナミズムに備わるネガティブ・ポジティブ双方の原動力が北の大地と共鳴する。
そんなことを思い、シーレの『家族』と向き合えれば、
また違った印象を受けることだろう。
といって、ウィーンにおいそれとは行けない。
長崎から北海道へ行くのとは訳が違うからね。