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アンダーカレントのteaのレビュー・感想・評価

アンダーカレント(2023年製作の映画)
4.5
《人をわかること。わかろうとすること。》
《2人だったら、ぶつかって苦しんで悲しんだ、その”先“がある。》


今泉監督の作品はどれも登場人物が愛おしく感じられる。もしかしたらそこには”その人がどんな人か分かろうとする丁寧な優しさ“があるからかもしれない。と、この作品を観て感じた。「所詮人の考えてることって分かんないよね、」と諦めるのではなく、「分かんないからこそさ、寄り添ってみようよ。案外可愛く思えるかもよ」と言わんばかり。
人間のことをぼうっともやもや色々考えるきっかけを与えてくれる。今泉作品やはり好きだ!!


(以下、ネタバレ含みます⚠️)


ちょっと話がそれるが、よく適性検査ってあるけど、あれってどうなんだろうか。こう答えたら問題ないだろうなってバレバレの、あの問題たちである。丁度この間免許の更新で運転についての丸ばつ適性検査をしたが、私が問題を読みながら気にしたことは「この後この紙は提出するのだろうか」ということだった。提出しないのなら、「前に自転車が走っていたら早めに抜きたいと思う」の項目には「はい」で答えるんだけどな。。なんて思ってしまう。
職場のストレスチェックだってそう。どう答えればいいかなんて、小学校中学年以上であれば誰でも分かる。人は見せたいように振る舞うものだろう。少なくとも私は物心ついた時からそう振舞ってきたと思う。そう演じてきたとも言えるし、今作の言葉を借りれば、嘘をついてきたとも言えるのか。

「みんな本当のことより、心地よい嘘の方が好きなんだ。みんな本当のことなんか知りたくないんだよ。」
そう言って表面に出ている自分を愛すことができないでいる悟。

でも私は思うのだ。
under(下)current(現在)
表に出ている現在があるから下がある。のであれば、表に出ている面もそれまた自分なのだ。なぜ下にあるのだけが、本当の自分なのだろうか。
下にあるものも上に出ているものも、自分だったら、その人を構成している大もとが下だと言い切れるのだろうか。別に見えないとこでどう思ってもいいのでは。
偽善かどうかなんて、自分にだって分からない。

私が中学生の頃、優秀な弟がいた同級生が、先生から
「〇〇の弟は本当にいい子だよな~」
と褒められた時、
「あいつ家だとめちゃくちゃダラケてますよ!」と答えていた。
私は割と学校ではいい子ちゃんをしていたので、内心それを聞いて自分のことを言われたようでドキッとした。でもその後先生は
「それも含めて、学校ではそう振舞ってるんだから、いいやつなんだよ〜」
と言っていた。私のことじゃないのに”大丈夫だよ“と言ってもらえた気がして、今でもよく覚えている。
別に全部いい人じゃなくていいんだ。
心無いことを考えてしまうその人だって、それを表に出さないという選択をすれば、十分その人の優しさなのだ。
むしろそれで、僕はこんな風に考えてしまう心の汚れたやつだ、と顧みられる悟はやっぱりいい人だと思う。


湯船の縁に座って2人で喋るシーンは敢えて背中側から映していた。敢えて悟の表情(無理に繕っている表側)を見せないでアンダーカレントを想像させる演出が素敵だ。
悟が何か言いたいことを言えずにいる様子とそれでも2人で上手く過ごしているほんのり楽しそうな日常の様子が垣間見える。悟の行動、全てが嘘でなかったことが分かる。窓際にカエルがいる。「去年と同じカエルだったら嬉しいな」
毎年ささやかな日常を共に喜べる幸せ。
それを味わい続けるために、悟がありのままの自分を愛せるようにならないといけなかったのであれば、
離れるという選択肢ではなく、”分かるために話す“という選択をとるべきだったと思う。
2人だったら、ぶつかって苦しんで悲しんだ、その”先“がある。
まあ、それが難しいのだが。それができる2人にならないと夫婦としてやっていくのは難しいのかな。



映画のテーマである水も、
・日常に寄り添うように主張しすぎない川
・銭湯(蛇口から勢いよく出る水や湯船を揺蕩うお湯)
・キラキラ光る海
・どんよりした池
など、温度や勢い・流れも様々。その時の心情などを示唆していて面白い。

音楽も秀逸。。トーン、と心に感情と音楽が一緒に落ちていく感じがあった。

また、一旦現在を移してからそのアンダーカレントを過去回想でネタばらししてくれる映し方が面白い。(『窓辺にて』のゆらゆら水の反射を指に当てる稲垣吾郎を思い出す。)


随分前に観たのに、レビューに長いこと時間かけてしまった!
今回の今泉作品も最高でした!

2023年 49作目
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