レインウォッチャー

パスト ライブス/再会のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)
4.0
『恋はデジャ・ヴ』に『バタフライ・エフェクト』…例を挙げると切りがないほど、「もしもあのときこうしていたら」を題材にした恋愛映画は数多ある。

というかそもそも恋愛ものに限らず、映画それ自体が様々な《IF》を束の間叶えるもの、といえるだろう。映画を観ているあいだ、観客は別の人生を体験するからだ。(それを最近ダイレクト&エクストリームに具体化したのが『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のマルチバースだったりすると思ってる。)

今作は、上で引き合いに出したいくつかの映画のようなSF / ファンタジー的設定を持ち込んだ作品ではない。あくまでも現実世界における、とても現実的な物語だ。それでいて、映画のすべて、つまりはわたしたちの人生すべてをまるっと受け止めてくれるようなエモーションに満ちている。

主人公たちの物語は、粗筋にすると寧ろ(すくなくとも恋愛映画的な文脈でいえば)ごくごく平凡だ。
幼い頃に淡く、しかし忘れ難い初恋を経験した男女がはなればなれになって、時間が経った後ふとしたきっかけで再会する。気持ちが再燃するけれど、距離が隔たっていて結実しない。再び時が流れる。そして別の人と出会い、結婚したりもして…

と、拍子抜けするほど、「ただのラブストーリー」だ。こんなの、ゴールなんて太古の昔から概ね二択(現実か運命か)しかないだろう。
例に漏れず、ストーリーの表面だけ見ればこの映画もそのいずれかに帰着することになる。けれども、シンプルなドラマの先に彼らがたどり着くシンプルな答えこそが時代や場所を選ばない本質を捉えていて、わたしたちのあらゆる恋、記憶、夢、そして映画の体験を串刺しにし得る、と思わせるのだ。

それは、劇中で《イニョン(인연)》というたったの一語に集約される。韓国語で《縁》にあたる単語である。
当然、主人公たちのルーツに根ざした言葉であり、タイトルとも関連づけられて、何かしら深い関係にある人は『Past Lives(=前世)』からの縁が強いのだ、ということが語られる。日本にも「袖振り合うも多生の縁」なんて諺があるけれど、まさに韓国でも同じような表現があるらしい。《多生》は仏教的な輪廻転生の世界観(※1)に由来し、生は繰り返し循環するものという前提がある。そして、縁は層となって重なり、今世で叶わなかったことは来世へと託される。

ここで気付かされるのは、主人公たちが少年期から経験した何度かのすれ違いは、それぞれが輪廻のようなもの、ということだ。別離を繰り返しても、二人の《縁》がまた次のターンで引き合わせた。
カメラはたびたび暮れゆく空や窓から過ぎ去る風景をとらえ、刹那的・一過性的な連想を強めていく。この映画の結びについての詳細はここでは伏せるとして、ラストシーンはこの先も「続いて」いくことを想起させるものとなっている。

さらに考えを進めるならば、わたしたちの《現世》はバトンを渡された《来世》であり、同時に次に向けてひた走る《前世》でもある、ということにも思い至るだろう。そして、ひとつの現世の中でも小さな輪廻を何度も経験しているということ。
つまり、わたしたちは既にマルチバースの渦中を生きていて…出会った人たちとの縁を大切にしながら現世を心ゆくまで生きることと、前世や来世での新たな縁に期待することはまったく矛盾しないのだといえはしないだろうか。

そしてこれは、映画を観る(あるいは作る)ことの意味も補強する。映画で他人の人生を垣間見るなんてただの現実逃避…だけではなくて、日常へ持って帰って《縁》の層の一部にすることで、現世や来世をより良くすることができるはず。本当に輪廻があるかどうかはわからなくとも、そう考えてみることには価値があって、その縁をひとつでも重ねていくことが大切なのだ、と。
主人公たちは、いずれも人生の折々で生き方や目標設定に悩み、それぞれの選択をする。その結果は必ずしも最善のものかはわからない(IFはいくらでも生まれ続ける※2)し、彼ら二人はすれ違ったりもするけれど、別れ道の先で生まれた別の縁が巡り巡って二人を再び引き合わせることに寄与していくようでもある。

今作は、紛れもなくラブストーリーである。ただし、そのラブは単に男女の恋愛だけではなく、映画に、そして人の生に向けられたラブだ。
たまたまこの映画を観て、たまたまわたしのこの文章を目に留めてくださったあなたとも、きっと多生の縁が。何度でもさようなら、そして、はじめまして。

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あたたかい雨のような素晴らしいサウンドトラックを奏でるのは、大好きなバンドGrizzly BearのC・ベアとD・ロッセン。

中でも、ネット上で再会した主人公たちがSkype上で絆を深めていく場面でかかる『Across the Ocean』に耳を澄ませてほしい!
一枚一枚降り積もるようなピアノの頭上で、ところどころの星がウィンクしあうかのようなシンバルの音が羽毛の棘となって胸をくすぐる。ドラマーでもあるC・ベアの本懐といったところか。

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字幕はいつも輪廻何周目?のクオリティで届けてくださる大松浦美奈様。
特に今作、言葉の訳し方伝え方はかなり重要だと思う。

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どうやらみなさまのレビューでも人気の高い、ノラ(G・リー)の夫アーサー(J・マガロ)。
『哀れなるものたち』でも思ったのだけれど、今はこういう「ちゃんと待ってる男」が評価される時代ってことなのかしら。いや、実は前からそうだったのだろうけれど。

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※1:このへんのポイントでも『エブエブ』と今作は近いと思う。欧米でもこういった考え方がウケるのは流行ってるというか、エキゾ趣味を超えて一部で浸透してきたのだろうか。キービジュアル(サムネ)にもなっているメリーゴーランド(=まわり続ける)も象徴的。

※2:「いまはどんな賞がほしい?」という会話が印象的。昔はノーベル賞、からのピューリッツァー賞、いまはトニー賞かな、と答える、各フェーズごとに価値観も変わり、いわば別の生に生まれ直しているイメージが強まる。