面白い!傑作である。
本作は、能の安宅(あたか)と、それを元にした歌舞伎の勧進帳(かんじんちょう)をベースにした映画である。そこに、コメディリリーフを担当するオリジナルキャラクター、エノケンが演じる強力(ごうりき=荷物を背負って案内する者)を新たに加えることにより、映画としての厚みが増し、黒澤エンターテイメントな面白い作品に仕上がっている。
ここに、本作のあらすじを少し書き留めておく。
源平合戦で手柄を立てた源義経が、梶原景時の讒言によって、兄、源頼朝に追われる身となり、武蔵坊弁慶(大河内傳次郎)ら六人の家来と強力(榎本健一)ともに、山伏(山中で修行をする修験道の行者)姿に身をやつして、都落ちして奥州の藤原秀衡のもとへ身をよせる為に逃げている途中、安宅の関所で加賀の地頭の富樫左衛門(藤田進)の取り調べを受ける。そこで、弁慶は、「南都東大寺建立のため諸国勧進の客僧 北陸道を承ってまかり通り申す」と述べ、言葉巧みに富樫の取り調べを切り抜けたにみえたが、富樫は弁慶に「南都東大寺勧進とのことじゃが、偽りなくば勧進帳ご所持のはず これにて聴聞仕りたい」と言う。
弁慶は勿論、勧進帳など持ってはいないわけだが、白紙の巻き物を、あたかも勧進帳のごとく朗朗と読み上げる。それを聞いた富樫は、弁慶に「世に仏徒の姿はさまざまじゃが山伏のいでたちほど物々しきはない まずそのいわれを承りたい」と言い、山伏の持ち物について、それぞれのいわれを一つ一つ問いただす。それに対し、弁慶は、すらすらとこたえる。富樫は、その山伏問答に感心し、弁慶たちを疑ったことを詫びる。
そして、義経一行が無事、関所を切り抜けたかにみえたところで、♪虎の尾を踏み 毒蛇の口を逃るる心地~
という歌が流れて盛り上がりをみせる。
しかし、関所を抜ける直前で、富樫の部下である梶原の使者(久松保夫)に「待てえ!その強力を捕らえい」と呼び止められる。
(義経は、笠を被って顔を隠し強力を装おっていたのだ。)
梶原の使者は、その強力を義経だと疑る。
そこで、弁慶は、「この腰抜けつ!わずかの笈にひょろひょろと ひょろつきながら歩めばこそ怪しまれる おのれの足弱ゆえに旅もはかどらず 思わぬ難儀も振りかかる もはや堪忍ならぬ そこを動くな」と強力(義経)に言い、その強力を金剛丈で何度も殴る。←《ここで、エノケンの強力が、弁慶に飛びつき、義経の強力を殴るのを止めさせようとする。その黒澤オリジナルの演出に私は唸った。》
その光景を見ていた富樫は、
「もし その強力が判官(義経)殿ならば杖を以て打たるることはよもあるまい 己の主を杖を以て打つ家来があるはずはござらぬ 通せい」と言い、無事、義経一行は関所を通り抜ける。
関所を抜けた義経一行の後を追ってきた富樫の家来たち。主人(富樫)の命を受けて粗酒を持参してきたのだ(実は、富樫は、弁慶たち山伏の正体が義経一行であると感ずいていたが、その心情を思い、あえて騙されたふりをして、弁慶たちを見逃したわけだ )。
そこで、弁慶たちは、盃を酌み交わし、宴となる。
その酒の席で、強力(榎本健一)が舞を披露する。その後、弁慶も謡を披露する。
いつの間にか酒に酔い眠りこけた強力(榎本健一)。目が覚めたら、すでに、弁慶たち義経一行の姿はなかった。強力のもとには、お礼として小袖と印籠が残されていた。
強力(榎本健一)は起き上がり、最後に、壮大な空の下で、飛び六方(六方とは、東西南北と天地のことである。)を踏む。
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本作は、とにかく、大河内傳次郎の弁慶がカッコいい。
白紙の巻き物を読み上げる場面が特にハラハラドキドキして見物である。
エノケンの強力も良い。てか、黒澤監督って、コメディリリーフ的な役を配置するのが好きだよね。「乱」でピーターが演った狂阿弥と、本作でエノケンが演じた強力は、ある意味で似ているようなキャラだが、エノケンの動きは、やはり、凄い。ラストの飛び六方は特に凄い!惚れ惚れする。
黒澤は、当初は、大河内伝次郎とエノケンを主演に「どっこい、この槍」を撮る予定だった。しかし、その作品のラストが、桶狭間の合戦の朝で、信長やその武将や側近が馬を飛ばして合戦に赴く場面であったのだが、当時は戦時中で、その撮影に必要な馬を調達することができなくなり、製作が不可能になった。それで、その代案として急遽、企画されたのが、本作「虎の尾を踏む男達」である。
本作の脚本は、「勧進帳」を基にして、大筋はそのままなので、2日もあれば書けると黒澤が会社(東宝)に申し入れ、本作のセットは一つ、ロケは、東宝撮影所の裏門の外から続いていた御料林で済まし、主演は「どっこい、この槍」の大河内とエノケンをそのまま起用するということで、会社側は喜んだらしい。
ところが、本作、撮影中に日本は戦争に敗けて、アメリカ軍が進駐し、撮影セットにも、アメリカの兵士が時々顔を見せるようになり、作品の風俗が面白いのか、キャメラをパチパチやるし、八ミリは廻すし、中には、自分が日本刀で斬られるところを撮ってくれという奴まで出てきて収拾がつかなくなり、撮影を中止したこともあると黒澤は自身の自伝で書いている。また、ある日、ステージのデッキに上がって俯瞰撮影をしているときに、アメリカの将官や高級将校の一段がステージに入って来たが、その一団は静かに撮影見物をして引き上げて行ったが、その一団の中に、ジョン・フォードがいたらしい。その事を黒澤は後にロンドンでジョン・フォードに会った時に本人から聞いて吃驚したといっている(ジョン・フォードは日本が敗戦した時にCIAの前身である戦略局OSSの海軍大佐になっていたが、黒澤が「虎の尾を踏む男達」を撮影していた時期に来日したことを裏付ける証拠は見つかっていない)。
また、本作は、製作は45年の9月だが、GHQの検閲により上映禁止を喰らい、占領がとけるまで公開されなかった。そして、1952年の4月にやっと公開された。
さて、黒澤の自伝「蝦蟇の油 自伝のようなもの」を引用して、本作の製作中のエピソードを長く書いてしまったが、私の本作の感想だが、めちゃくちゃ面白い男だけの映画であった。また、これまで、黒澤映画を見てきて、思うことがあるのだが、黒澤映画は顔の映画である(全編、神の視点で描かれた「乱」には、一切、顔のクローズアップがないので「乱」は、顔の映画とは言えないわけだが)。
本作でも、登場人物たちの顔が実に魅力的なのだ。顔だけ見ていても面白い。
そして、本作は、黒澤映画で唯一、男しか登場しない映画である。そして男達の忠義と情けを描いた映画である。
だから、本作は、ゲイムービー(ホモ映画)に翻訳できると思った。
本作の上映時間が59分というコンパクトさも良い。
この話、現代を舞台として翻訳すれば、そのままゲイムービーになると思います。
また、本作は、服部正の音楽が素晴らしい。謡曲に近代的なアレンジを施した、ヴォーカル・フォア混声合唱団による合唱をはじめとして、音楽が重要な役割を担う本作は、黒澤の師匠、山本嘉次郎が得意としたエノケンのミュージカルを継承した作品と位置付けることができる。
黒澤は、本作の演出前記で、「能楽はテンポの遅いものと大衆は思って居るが、しかしそれは思い違いである。シテ(能や歌舞伎の主役を指す言葉)が舞台の廻りを三歩あるいて、三里の道を歩いた表現を、映画作劇法に用いて見たらと思っても見ます」と言っているが、本作は、大河内の弁慶とエノケンの強力が絶妙のテンポで画面をかっさらう。
そして、本作を見ると能や歌舞伎が見たくなる。
本作は、黒澤初期の傑作であるといっておく。必見!!