レインウォッチャー

ゴッドランド/GODLANDのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ゴッドランド/GODLAND(2022年製作の映画)
3.5
「ちょっと君、教会建ててきて。アイスランドに」
「…おかのした」

というわけで、大ブラック無茶振りを食らった若神父が孤独地獄旅へどんぶらこ。その先で今作が描き出すのは、あらゆる争いが起こる本質ともいえる《構造》である。

14世紀末から、アイスランドはデンマークの植民地だった。今作の舞台である19世紀頃、両国の表面上の関係はそこそこ平和的なほうだったと思うのだけれど、アイスランドでは自国文化復興のムーブメントが強まったりもしていたようで、やはり神父にとって超絶アウェーであることに変わりはない。

近年の映画だと『LAMB』や『ノースマン』でも見られたような、アイスランドの広大な風景が目を引くけれど、それは美しいというよりもはや茫漠であり、まるで別の惑星のように映る。
また、神父を圧倒する湿地帯や火山といった独自の自然環境は、キリスト教が布教して長らくの時間が経ってなお、この地に深く根付いた別の神々の息遣いを感じさせるものだ。

神父の抱えた、そして同行する現地のガイドたちに運ばせる大荷物は、そのまま彼が背負ったプレッシャーと、宗主国(教会)の権威を笠に来た傲慢さであると思わせる。
中でもでかい十字架やたくさんの書物はダイレクトだし、劇中でも主要なアイテムとなる記録用のカメラは神父みずから背負っていて、時には聖堂の尖塔のようにも見えてくる。

そんなわけで冒頭から順調に不安が積もりゆくわけだけれど、案の定、その不吉な予感はあれよあれよと現実のものに。
果たして、映画はどの方向に向かうのか?がなかなか見えず、そこが面白かった。サイコスリラーにもブラックコメディにも村系ホラーにも転びそうな雰囲気。

しかし存外、着地はマジメというか、上述したように争いの本質のようなものを半ば寓話的に炙り出していく。ここらでひとつの結論としてわたしなりの解釈を言葉にしておくと、すなわち《二項対立》である。あるいは、《不寛容》とか。

冒頭から、それは主に《言語》、即ちデンマーク語とアイスランド語の対比に託される。神父と現地のガイドたちを隔てる言語の壁は幾度となく強調されるし、なにせタイトルすら二つの言語で表示される(※1)のだ。それらは直後に赤と青の鮮烈で対照的な色のイメージに返還され、観る者に刷り込まれる。

神父はハナから彼らの言語を学習する意欲に欠けていて、それは中盤以降で紆余曲折の末なんとか目的地の村に到着してからも変わらない。
通訳の男と神父の会話が象徴的かつわかりやすい。アイスランド語には、現地の天候に合わせて『雨』を表現する言葉のバリエーションが多くある、と解説する通訳に対して、神父は「要するに全部『雨』でしょ」で片付けてしまうのである。その後、旅の途上で雨は何度も彼の身に降り、心身を冷やし脅かす。

この、いわば《グラデーション》の否定・単純化の危険性は、映画全体に通底している。そして、それは何も神父側だけの業ではなく、現地側の人々の一部においてもいえる。終盤において起こるいくつかの悲劇は、この負の連鎖が招いたものだとも言えるだろう。

対して、神父が村で親密になる女性(※2)のように、デンマークとアイスランド両方をルーツに持つ者もいることが示される。彼女はアイスランドの土地についてこんな風に言っている、「作物が育ちづらい酷い土地、けれど美しい土地でもある」。まさに季節のグラデーションの中でみるみる変わりゆく風景や、その下で生物の死骸もまた風化し草木に還っていく様が映される。

自然が過酷さと美しさを共に孕むように、あらゆる物事は陰陽の両面を持ち得る。しかし、人間は歴史上何度も二極の対立構造を作ることによって世界を単純に理解しようとし、その押し付け合いによって多くの血を流してきた。
デンマークかアイスランドか。キリスト教か異教か。善人か悪人か。本当はそれらの間に大河のような中間が流れているはずなのに、それを無視することは想像力の放棄であり、暴力の最も手早い一歩目なのだ。

ここで最後に、神父が持つカメラに立ち戻ろう。当時のカメラは露光時間が30分近くかかるもので、その間被写体が動くとうまく撮影できない。劇中でも、神父が「動くな」と(伝わらないデンマーク語で)命令する場面がいくつかある。
このような不自由を強いて、かつ意図的に切り取った枠組みに押し込める撮影という行為は、上述したようなことを踏まえるとかなり暴力的な行為であるとも考えられるだろう。実際、このカメラは神父にとって癇癪のタネにもなるし、とある悲劇のトリガーにもなる。

《映画》というメディアの中でこのような側面を語ることは、作り手として自戒的でもあり、観る者への警告でもあろう。
一方から「見つめる」だけでは見えないものが確かにある。向こうから見つめ返されていることに気づかねばならない。『GODLAND(神の地)』が存在し得るとしたら、その間の地点にしかないのだから。

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※1:加えて、エンドクレジットにも仕掛けが。

※2:彼女の妹は、「姉妹は一心同体、お姉ちゃんと結婚するのはわたしと結婚することなのよ」なんてことも言う。ここからも、裏表両面の同一性をイメージできる気がする。事実、ラストカット近く、普通なら姉が現れるような場面で、姿を見せるのは妹のほうなのだ。