"male gaze"へのアンチテーゼとして描いているのかと思ったら、逆にどこまでも客体化された女性の映画だった。9名の"John"とのセックスは苦行で、ただの反復運動の波としてスクリーンに映る。アイダは一瞬たりとも表情を緩めることなく空虚を睨み、物としてそこに横たわっている。とてもじゃないが"ラブ"シーンとは言い難い。
この作品では時間と空間がバラバラに配置され繰り返される。苦行のセックスと収監所での生活のカットの連続。これらがまるでアイダの世界のすべてであるかのように。
プールサイドでの姉妹の会話、駆け抜ける故郷の草原、アイダの心の中にある誰にも触れない孤独で安全な場所。
ここには誰も来れないってこと、覚えておいて。
女性囚人たちが参加する収監所のミサでは、神父が男性聖人を称える。罪があったにしろなかったにしろ魔女は魔女として処刑されたのだと思う。何度も繰り返される言葉は呪いなのか祈りなのか。"スミレは鳥に似ている。"、花は空に解き放たれた。