外からは見えにくい悩みや生き辛さを抱えた人たちを通し、個人と個人の関わり、その先にある社会のあるべき姿に対してこうあってほしいという希望を感じた。
パニック障害とPMSという、自己責任論で片付けられやすい症状を抱えた二人の交流を描くが、まずこの二人の関係性が非常に良くできている。
恋愛でもなく友情でもない。この距離感が絶妙で、過度な干渉や気持ちの押し付け合いはせず、でもちゃんと見て理解しようとする。だからこその“助け合い”であるし、一方通行の善意とは別物になっている。
これこそが“コミュニケーション”の本質で、それは主人公二人以外の登場人物にも言える。
栗田工業の従業員たちも二人の症状に対して詮索はしないし、でも気にかけてくれてはいることがわかるし、なぜそうするのかという背景が説明はなくともなんとなくわかってくるのですごい。
山添が藤沢に向かって「なんでもPMSのせいにすればいいから便利ですよね」と、普通に考えれば失礼極まりないセリフを言うが、このとき藤沢にとってはその言葉こそが救いになっているという、単純に白か黒かでは判断できないのがコミュニケーションということを描いているのもフェアで良い。
特筆すべきは、今作において登場人物の背景があまり語られないということである。
山添がパニック障害になった経緯や藤沢がPMSによってどんな体験をしてきたのか、なんとなくはわかるけど深堀はしない。