KnightsofOdessa

Time to Love(英題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Time to Love(英題)(1965年製作の映画)
4.0
[トルコ、愛の平行線] 80点

傑作。暖炉の上に飾ってあるバカでかい肖像写真に見入るハリル。その家は資産家の別荘であり、彼は内装工事を担当してから写真に惚れてしまい、毎日のように会いに来ていた。そこへ別荘の持ち主で写真の主でもあるメラルがやって来る。愛を信じていなかったが訳を聞いて一瞬で恋に落ちたとするメラルに対して、自分はあくまでも写真に恋したのであってキミじゃないと応えるハリル。ハリルにとって写真は"決して手に入らないもの"でありながら、それに恋してしまったために"幸せ"の象徴でもあり、両者の間を埋めるべく"自分に優しい人物"という都合のいい設定にして丸め込んでいる。だからこそ、本人ご登場に嬉しさを見出だせないでいるのだ。翻ってメラルも、上級社会の生活に飽き飽きしていて、恐らく彼に興味を持った発端はそういった冒険心から来ているのかもしれないが、生活の軸足が労働者階級になってしまうことまでは考えていなさそうだ。こうして、両者の議論は永遠に平行線を辿るしかなくなってしまう。この緊張感ある並行議論と結実しない愛の暴力性、アントニオーニを思い出してしまう。エルクサンも意識したのか、アントニオーニっぽいショットもちらほらあった。
→キャリア上いろいろな作品をパクっている人らしく、これもパクりなのかもしれない。

繰り返される窓越しの物憂げなメラルのショットは、二人の間に埋められない距離(それは階級差を主成分として様々なものを含む)を暗示している。だからこそ、二人の間を塞いでいた雨という水が、最終的に二人の再会の場になることは想像に難くない。明らかに三途の川めいている描写の数々が、二人の結末を直接的に予言しているのが非常に苦しい。『Iguana Tokyo』という映画で本作品のラストシーンをパクったシーンがある。パクり映画をパクるという趣はさておき、『Iguana Tokyo』がマジでつまらんという方が問題。
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