脳内金魚

12日の殺人の脳内金魚のネタバレレビュー・内容・結末

12日の殺人(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

冒頭で最大のネタバレがされる。「フランス警察が扱う殺人事件の20%は未解決だ。これもそのひとつである」と。つまり、今作で事件は解決しない。と言うことは、監督はこの作品を謎解きミステリーと言う面ではなく、別の側面で見てほしいと言うことだろう。

そして、原題は『La nuit du 12』――12日の夜だ。大半の映画サイトでは、本作をサスペンススリラーやミステリー/クライム分野で括っているようだ。なるほどね。邦題の敢えてつけた『殺人』など、まぁなんというか、うん。邦題『ゼロ・グラビティ』も原題はゼロついてなかったよね。

21歳と聞いたら、子供と大人、どちらだと思うだろうか。本作の犠牲者女性クララは21歳と言う、そんな微妙な年齢の人物だ。発生時刻が深夜なため目撃者はおろか、確かな物証もない。
だが、調べが進むに連れ、彼女の恋愛遍歴が詳らかになる。性的にも恋愛的にも奔放なクララの「恋人」の誰かが犯人だろうと目されたが、どの男性もアリバイがあったり、明確な証拠がなかったり。痴情の縺れが原因の一見簡単な事件かと思いきや、事件は早々に暗礁に乗り上げる。
ひとり、またひとりとクララが関係した男性が判明する度、担当刑事のひとりヨアンはクララの親友ナニーに確認をしては、なぜ教えなかったのかと詰問する。終いには半ホームレスのような男までクララの「恋人」候補として現れ、辟易した気持ちを隠さないヨアンに、ナニーの感情が爆発する。

「クララを尻軽のように言うな」
「彼女が殺されたのは彼女のせいと言うな」
「彼女が殺されたのは『女の子』だったからだ」

そう涙ながらにヨアンに気持ちをぶちまける。このとき、ヨアンとナニーどちらに共感を覚えるだろうか。正に、このシーンでの反応が、今の社会の分断なのだろうなと思った。
このシーン、原語の仏語でも実際に「fille=girl」とナニーは言っている。つまり、女性は「女性」になる前の「女の子」の段階から、たくさんの男性からの先入観や偏見、様々な「暴力」に晒されているという暗示なのかなと思った。

後半は事件から三年後に時間は飛ぶ。ここでも、ある二人の女性がヨアンの背中を押し、目を啓かせる。そのひとりの判事は、判事のとしての自分は「男女の間の溝」は見ないようにするという。ここでも、分断を示唆するようなシーンが出てくる。もうひとりの新人女性刑事は、男所帯の警察組織が「男」の事件を担当する歪さをあんに仄めかす。

本作では、前半の捜査シーンでは物理面でのアプローチシーンがほぼない。実際はそちら方面からも追っているのだろうが、おそらくは敢えて「それらしい人物」の露悪的なシーンのみを描くことで、徐々に観客のなかの気持ちを方向付けていっているのだろうなと思った。その観客本人の無自覚な考えを自覚させるシーンが、あのヨアンとナニーが対峙するシーンに結実しているのだろう。

後半、事件解明に光明が射しても、冒頭で明かされたように事件は解決しない。そういう点では、救いもなにもない作品だ。内容も、ひたすら対人のシーンばかりで地味だ。でもこの構成が、実は観客本人も気付かなかった偏見や先入観を観客自身に気付かせる一助になっている。聖人君子ではなくとも、自分が善だと思っている人ほど、自分のなかの「分断/溝」を見せられ、実は打ちのめされる作品なのかもしれない。
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