印象的な部分メモ
・「生きるために隠れてたのに死を選ぶしかなかった。」
・「反戦反核画家と言われるけれど、決してそうではない。そういう一面も確かにあるのかもしれないけれど、それよりもっと根源的で哲学的なものを表現しているのではないか。」
・丸木位里は日本画家、丸木俊は洋画家。
・俊が人物を描いた上から水墨で風景を描く位里。
ふたつのガマに分かれたことによって運命も別れた読谷村の人々。ハワイ帰りの者が米兵と言葉を交わせたことで助かった命。そこに、未来への希望があると思えた。
知らないことがまた知れた。
終戦後に日本の将校が指揮したスパイ容疑や朝鮮人差別などに基づく市民への虐殺事件。
1972年のインタビューに将校は「間違ってはいなかった」と答えた。原爆を投下した米国の「(戦争終結のためには)必要だった」というのと同じだと感じた。
映画をナビゲートする沖縄の若い女性たちも「戦争のことは子供の頃から教わってきたけれど、知らないことばかりで…」と言った。本当の悲劇は語りたくないものだし誰かにとっては都合の悪いことだから、知られないのかもという気がした。
俊が描いた人物の上から水墨を塗りたくる位里。“あら…これはこまったことになったわ…”と思ったと言う俊。
壮絶な絵を描きながら、純粋にアーティストとして作品に向き合うふたりの制作現場の雰囲気が感じられた。
位里・俊夫妻の制作現場でモデルになった沖縄の人々の見守るような眼差しが良い。
パンフレットはないので、佐喜眞美術館の図録を購入。