Siesta

ミッシングのSiestaのネタバレレビュー・内容・結末

ミッシング(2024年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

鑑賞後に言葉を失う希少な映画体験。吉田恵輔、石原さとみによる本気の一本。突然、子を失った親を主人公に、その周囲の人々を含めた“折り合い”という吉田恵輔監督に通底するテーマ性は「空白」とも重なる。ベースの部分はかなり「空白」とも近い。
冒頭、母親・沙織里視点での娘との思い出が語られていく。ここが誰かの撮影した2人の動画とかではなく沙織里の主観映像で、かつ沙織里の言葉やセリフを入れないセンスが好き。ここは親子の仲の良さとか、私たちはとても幸せでしたとか、そういうことではなくて、私はあなたを見ていたよ、あなたの日常を慈しんでいたよ、っていう視点なのがめちゃくちゃ重要だと思うから。そして、タイトル。日常の終焉、地獄の始まり。そこでタイトルが差し込まるのは「ヒメアノ〜ル」、「空白」とも同じ。ただ、「ヒメアノ〜ル」は中盤、「空白」は序盤、今作はほぼ冒頭。最も地獄の長い作品になっていると思う。このタイトルが出た瞬間に覚悟を決めさせられる感覚はめちゃくちゃ吉田恵輔。事件の詳細については全く説明なく、いきなりビラ配りのシーン。この省略による“突然”感、ギャップ。ビラ配りを素通りしていく人々。自分のこの中の1人かもしれないと胸が痛くなる。それを見つめる今作の裏主人公でもある記者・砂田。マスコミによる偏向報道、悪意のある切り取りというあたりは「空白」でも出てきたが、「空白」ではその内側まで入り込んだ見せ方はなくて、ややステレオタイプなきらいは確かにあったと思う。ただ、今作では思い切りそこに入り込み、記者としての使命、報道のあり方に苦悩する姿が描かれている。派手、地味、視聴率、笑える、とは。キャスティングもキー局アナウンサーが妻である中村倫也。ただ、中村倫也はめちゃくちゃ演技上手いな。この抑えた演技が本当に見事。分かりやすく派手に情熱的でないこのタイプの“熱さ”を持ったキャラクターというのが本当に良い。ビラ配りのボランティアで風水を勧めるおばさんは「空白」の寺島しのぶと重なってしまう。善意暴走系おばさんというか。今作はほんの少しだけだったけれど。
テレビ放送でライブTシャツを着ていて炎上というのもめちゃくちゃ今っぽい。失踪があった時に実は沙織里はライブに行っていたと。別に隠していたことでもなく、子育ての息抜きで行ったライブのタイミングでたまたまこの事故が起こってしまったと。たしかにそういうのも必要だよね、と思う反面、“お前がそれやっていいのか”というあまりに鋭利な悪意も正直、0%ではない。そして、“お前がそれやっていいのか”という過剰な攻撃性を喚起する悪意あるバイアス、そこの裏切りというのがめちゃくちゃ散りばめられている。夫の蒲郡に行くことを一瞬、渋り、ホテルで似た子どもを見つけて錯乱する沙織里に対する冷静さ。温度感が違うというのも分かる。でも、この冷徹ではない良き夫というバランスっていうのがめちゃくちゃ絶妙で、それはやっぱり青木崇高っていうキャスティングもめちゃくちゃ大きい。そこからの実はホテルにビラを置いてもらえないか聞いていたという裏切り。失踪があった際に娘を見ていた沙織里の弟も非協力的な怪しさ、それでスーパーでカップ麺、ポテトチップス買っているところを後ろから嫌味に見せる。カップ麺を何にしようか悩んでいるところとか、マジで性格悪い。沙織里が昔、精神科に通っていた、とか。後であんまり印象良くなかった若い女の子が妊娠してボランティアに来てくれるとか。
そして、沙織里が見つかったというあまりに残酷な嘘をつかれて限界を超えてしまうシーン。失禁という、石原さとみがやるにはあまりに責めた描写に衝撃を隠せない。でも、それをサッと見せて、砂田と同じくそこを切る。そこのバランス。吉田恵輔監督って、嫌なシーンをちゃんと嫌なシーンにするのが上手いというか。「ヒメアノ〜ル」のオナニーさせられるシーンとか、過激なシーンなんだけど、“見せ物”として露悪的に描くのではなく、ただそこの事実を映しているというか。ちゃんと人の心の“死”が映し出されているというか。極端に露悪的に描いて滑稽に見せるヨルゴス・ランティモスとは真逆のアプローチ。それはそれでめちゃくちゃ良いんだけど。
また、弟の沈黙の理由が違法スロットに興じていたことを隠すためだったことが分かる。その弱さ。この弟役はアメリカだったらポール・ダノだと思う。それを知った沙織里による罵詈雑言のLINE。自分がやられていたことを相手にやってしまう弱さというのは「空白」とも通じる。弟、砂田ともにガラス越しの無音(こちらには聞こえない)威嚇シーンもめちゃくちゃ印象的。でも、娘を探して警察に捕まったり、実は少なくない金額を払い続けていたり。そして、車内での謝罪。そこにかかる場違いなアーティストの曲。つくづく監督の性格の悪さ。半年経過後のインタビューで沙織里が慟哭しながら、娘への想いを吐露する中での「何でもないようなことが幸せだったと思う」。虎舞竜をよぎらせる意地悪。本当に凄まじい。だってよぎったもの。笑えるところじゃない、って思ったし。あそこも茶化し過ぎないバランスも良かったと思う。面白いというより気まずい感じというのが絶妙。2年後にビラを配る沙織里を横目に車で通り過ぎる砂田がやるせない。
ただ、そんな限界を超えて娘を探していく中で、別の女の子の誘拐の結末が“見立て通り”元恋人が犯人だった時。ビラが届いたばかりでそのニュースが流れる。その時の沙織里の言葉。「無事で本当に良かった」。彼女の心の本当の美しさ。娘の手がかりが潰えてしまった、と思わずに。それに対して夫の「凄いよ」と。説明的になり過ぎずに本当に見事。善意や優しさの純粋性とその不可能性を提示し続けてのこれはずるい。ストーリーに直接絡むわけではないけれど、道で歩きスマホに怒ってる人、スーパーでヤクルトなくて怒ってる人、警察で怒っている人とか、そういう些細な怒りを表明しているシーンで“人間、嫌になっちゃうよ”っていう地味な積み上げも大きい。
そして、希望を捨てないということ自体を縁(よすが)に、希望に生きていくということ。そこは類似した設定でもある「チェンジリング」とも重なる。メインキャラクターが微妙に違えど交通整理をするようになるってのも「空白」とも重なるけれど、今作の方が意味合いは深い。子どもたちへの慈愛と、自身の子と同じような悲劇を起こさないための行為。
誘拐された女の子のお母さんが協力させてほしいと話があり、夫の泣き崩れるシーンは、悪意の連鎖を断ち切ろうとした、嫌気がさした、限界に達したところでの、善意のつながりに感動してしまったんだろうな。自身も決して沙織里を責めたりしないけれど、別の女の子の誘拐事件で「絶対元恋人が犯人だよ」って言っちゃって、謝るシーンもあったし。夫婦の絆モノとしても本当に素晴らしいと思う。手を繋ぐ、指輪が見える、という繰り返しがどちらかを下げるではなく、現実的で理想的な夫婦の支え合いが丁寧で本当に見事だと思う。さらに、砂田の顔。夫婦が訴訟を起こして悦に入るのも違うだろうし、分かりやすくショックを受けるのも違うだろうし、あの顔が正解なのは分かるんだけど、複雑な表情だよなぁ。そして、唇をブルブルと震わせるラストには痺れる。彼女が何に希望を見出したか。子どもたちへの慈愛。“果実”が美しく実るということ。希望を捨てないということ自体の希望。
そして何より、あまりにも壮絶な石原さとみの演技。個人的には、石原さとみの演技はややオーバー気味で少し苦手意識もあったけれど、今作を見て心の中で盛大に土下座した。近年の日本人俳優でも屈指の凄まじさ。石原さとみの中で最も(あくまでもカッコつきの)“汚れ役”であり、それ以上に最も“女神”でもある。安藤サクラではもう少し“肝っ玉母ちゃん”感出るし、今回の役の精神的な不安定さを考えると、今までだったら満島ひかりにオファーがあったような役だと思う。でも、それを石原さとみが女優としての転換点、結婚・出産をして人生の転換点に当たるタイミングで今作を演じたということがこの役に様々な意味合いやオーラを持たせていると思う。石原さとみの失◯とか釣りにする人とか、まさかいないよね?この役を演じ切った石原さとみに最大限のリスペクトを。
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