Siesta

岸辺の旅のSiestaのネタバレレビュー・内容・結末

岸辺の旅(2015年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

黒沢清監督特有の難解さとホラー描写はあれど、珍しいほどに感動的な余韻を残す異色作 おそらく、大友良英による劇伴が割とストレートに感動的なものだったというところも大きい気がする 深津絵里は“日常”の風景が似合う女優さんだなと思っていたけれど、今作では日本の津々浦々で様々な“日常”を演じている 浅野忠信の“得体の知れない存在感”は日本映画界が誇る切り札の一つだが、今作は設定からして明らかにそれにカテゴライズものなのに、意外とそこは控えめで、普通にいる感じなのがかえって黒沢清的な“違和感”のエッセンスになっていたと思う え、なんで普通にいるの?的な
失踪から3年、まさかの帰宅 白玉の妖精、優介こと浅野忠信 部屋の奥の暗闇に姿がお化けのように見えて、そこから普通に会話するっていうところから笑ってしまった 瑞希が普通におかえり、って言って、ただいま、何年経った?と返して、3年とさらに返すと、思ったら時間かかっちゃったな、って もう、めちゃくちゃ可笑しくて でもって、死んだわ、って 死体は見つからないよ、って めちゃくちゃ普通のことのように言うし、何よりめちゃくちゃ普通にいるし
そこからの“こちら”と“あちら”、まさに岸辺の旅というロードムービーになっていく 優介の成仏ってのもそうだけど、あまりに具現化された残留思念を祓っていくようなイメージ 日本各地のこの土着的なものを含む雰囲気は、結構、世にも奇妙な物語とかに近い そう、ネタ明かしどうこうとか、そういうことじゃなく、ホラーでもなく、ストレンジっていうバランス 黒沢清は可笑しさ、奇妙さ、不気味さが蓄積されて、途中で臨界点を迎えたところで、描写を含めてリアルのその先、わざとらしい程にビヨンドに突入して作品がライドしていく感覚だけど、あちら側との邂逅って意味で、岸辺の旅、ってタイトルからしていつも黒沢清が描いてることよね?っていう タイトル入って、いつもなら終盤のビヨンドモードが頭からってことで ただ、実際はめちゃくちゃ普通で、ちょこちょこそのおかしいぞ?が挿入されるようなイメージ
新聞屋のおじさんはすき焼きにしたら鍋のことで自分の過去の後悔を思い出してブチギレ こういう謎のトリガーが今作はあるのよな チラシの花を切り取ってそれを壁一面に貼り付けているという美しくもあり狂気でもあり ここも今作では頻出だけど、露骨に明るさが変わっていくという演出 このビヨンド感
さらに今度は中華屋へ ここは2人とも普通に生きていて、どちらかというと妻の妹への後悔 ここもピアノ弾き出して怒られて、突然10歳の女の子が現れて、明るくなって、という
さらに、不倫バレによる瑞希の怒り まさかの蒼井優 2人の対面のハラハラ感 改めて深津絵里、蒼井優の演技力ヤバいわ 間の取り方とかゾクっとする 私、分かります 結婚してますからって でもねぇ、深津絵里がキュートなんだよね、半端なく 何あの少女のような可愛らしさ 嫉妬してるのまで可愛いもの でも、あざといわけでじゃなくて そんで浅野忠信なら分かる気もしちゃうっていう
さらに、白玉の妖精の如く、白玉作ったら再降臨する優介 そして、最後の旅へと向かう とある田舎町 教祖の如く先生と尊敬される優介 さらに無口な妙齢の娘 めちゃくちゃ土着ホラーやんっていう めちゃくちゃ高尚で難解な宇宙や光の話をちびっ子から大人まで集って話を聞くという 黒沢清って、人間そのものがゾンビみたいに見えてるのかなって思えてくる そこでのゼロはないってことではないと 虚無ってことなのかなぁとか 滝の先のあの世、この世に執着して惨めな男 その男の最期は黒いシミのように消えるのはやっぱり回路っぽい
そして、セックスという生命の象徴ともいえる行為に及ぶ優介と瑞希 これはもうお別れということ 愛が溢れる行為、ただ、翌朝も普通にいる優介 冒頭のあの祈りの紙の効果という そこからの好きだよ、での海辺での別れ 2人の愛情がめちゃくちゃナチュラルに滲み出ていてめちゃくちゃ良い 大好きっていう雰囲気に、嫉妬とか、お別れの寂しさとか、いない時の健気さとか、深津絵里だから出せる、ナチュラルさ、可愛らしさ、なんなら少女のようでもあり 作品を選んでいるだろうから出演作が限られるけれど、深津絵里は日本映画を代表する女優さんの1人だなぁとつくづく思う
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