【木漏れ日】
※東京国際映画祭2023開催にともなう先行上映。
ヴィム・ヴェンダースが、自身のどこかは日本人だと云うようなことを言っていた。
ただ、彼のこれまでの様々な視点から撮られた映画作品を観て思うのは、人間に本来備わっているはずの奥深い優しさや強さを撮り続けているように思えることだ。
そして、それは日本人というより、人間としての普遍的な価値なんじゃないかと思う。
何気ない日々に埋没しそうになることはある。
毎日何らかの変化はあっても、心がそれを捉えきれなかったり。
言葉が洪水のように溢れるなかで、言葉に埋没したり、同様に言葉を多用せずに過ごすことは難しい。
本当は一言一言考えて、そして、選んで話すことは出来るはずなのに。
(以下ネタバレ)
この「PERFECT DAYS」の前半はほとんど会話らしい会話はない。
だが、仕事に向かう軽自動車のなかでかかるカセットテープの音楽が力強く、しかし、優しい。
改めて、ヴィム・ヴェンダースの作品なんだと思う。
ここに描かれた日々に言葉は少なくても、リズムがあって、抑揚もあって、実は音楽のようなものなのかもしれないなんて思ったりもする。
平山が、姪と妹をそれぞれ抱きしめる場面、何故か涙が溢れた。
なぜだろうか。
自分でも分からない。
自分にも分からないことはあるのだ。
そして、僕の他にもこんな人はいるだろうと思いながら、でも、理由はきっと人それぞれなのだ。
言葉を発してなくても人にはいろいろあることは分かる。
それを推しはかりながら日々を過ごすことも、ある意味、ささやかだが変化だ。
古書店の店主の言葉は秀逸だ。
「パトリシア・ハイスミスは不安と恐怖は別のものとして表した」
ヴィム・ヴェンダースの「アメリカの友人」は原作がパトリシア・ハイスミスだ。
夜、隅田川の橋の下での平山ともう一人の男のやり取りは、古書店の店主の言葉に暗示されたもののような気がする。
不安とも恐怖ともつかない日々は誰にでも当たり前のようにある。
人はそれをやり過ごしたり、向き合って何とか乗り越えたりしながらやっているのだ。
「影と影が重なったら濃い影になるんだろうか」
男が言う。
「ほら、濃くなってるでしょ。おんなじなんてことがあって良いはずがない」
平山の言葉は力強く優しい。
これは平山の生き方そのものなのだ。
人の気持ちにも濃淡はある。
様々な想いが重なった濃い部分が、滲んだり溢れたりして、涙になるんだろうか。
木漏れ日の影も揺らぎながら、時々重なったところは濃い色のように見えるに違いない。