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PERFECT DAYSのmndisのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
3.5
『繊細おじさん(絶滅危惧種)の小さなロードムービー』

刺さる部分と軽蔑する部分が共存していて好きか嫌いか判断が難しい映画だった。
ヴェンダースの繊細さと映画制作に入ってる企業や日本人の意図が絡みあってるのが私の中の評価を難しくしているのだと思う。

とりあえず感じた事を書く。

希薄な人間描写で劇中の登場人物は15秒、30秒でキャラクターを視聴者に認識させるCMの登場人物のよう。

登場人物達の行為もご都合主義というか、流れをぶった斬った様な突発的な行為に見えるシーンがいくつかある。
それは登場するフィルムカメラやカセットテープなどと同じで、それらの物質やシチュエーションや行為を画的に利用したかっただけに思えた、だから軽薄に感じた。

最近のCMでやけに若者が自宅でレコードをイジる描写が多い事と重なる軽薄さ。

アナログ的なモノを共通点とし繊細おじさんと感性が豊かな若い子が分かり合えるという使い方はまだ理解するしても、キスもそうだが様々な登場人物同士の触れ合うシーンが突飛に感じる。

ただその行為・動作が記号的にクリーンに映っているだけで、心が動かないし理解出来ない、その行為を撮影しただけだと思う。

明らかに美化された東京なのも、いっそう希薄さを感じさせた。


辛辣な事を言いつつも、真逆の考えに立ち東京というシチュエーションを利用しただけで、映画というのは世界中の場所や人に置き換えてみられるものだとも同時に思う、しかも小津などの日本映画への愛があるとはいえ、日本の現状を知るよしもないヴィムヴェンダースが監督しているのだから、様々な事がうまく変換出来ず、人間性が失われただの記号的になってしまうのだと思う。

そこに生活していない人がそこをリアルに描く事は出来ない、でもそれを逆手にスクリーンに映る現象をキーワード的というか行為や動作という無機質にする事で開放され自由に変換されるという効果がある事も確かだ。

そうなると、この映画は小津っぽいのかもしれない。。

そこまでワビサビ的な深さはないが、この人間描写の無機質感は意外とチープな小津的描写と言えるのかもしれない。


外国人が撮った日本の映画を2020年代を生きる日本人が観た時に美化や誤解されていると感じるのはしょうがないのかも知れない、かつての「ロスト・イン・トランスレーション」もそう感じた。

しかし、怖い事に時間がたてば、記憶は変化し、この映画を観ても違和感を感じなくなるのだろう、、それはそれで怖いものだと思う。



繊細おじさんについても書きたいと思う。
若い時に感動したカルチャーや些細な現象を心にとめるその繊細さは歳を取るに連れ面倒くさくもあり、しんどくもなるし、恥ずかしくもなる。

劇中の男は、その繊細さを未だに大事に持っており、その瞬間瞬間を心に刻んでいる。
その世界を壊されたくないので、彼は喋らないし語らない。

ジムジャームッシュの「パターソン」とこの部分は凄く似ているし、両方ともそこが好きだ。。逆に是枝の『空気人形』の板尾とは真逆でおもろい。

繊細過ぎて時々笑ってまうけどねw

人間関係の軽薄さと前の方で書いたが、そういう意味でも、これはたぶんロードムービーだ。

男が出会った人と触れ合い、別れ、出会って別れを繰り返す、そこにある一定の人物との関係を深く描写する時間はない、流れゆく時間の中で青いミニバンに乗りいろんな人と出会い別れ経験する、そんなロードムービー。

結果私はこの映画が好きか嫌いか分からないw


追記
撮影と編集に感じた事がない違和感を感じた。
映画なのにオートフォーカスで撮影した様なシーンがあった、役所がフレームインするとフォーカスがズレたりしていた、映画でこんなシーンを見た事ないので驚いた。

あと編集なのかこれも撮影がおかしいのか分からないが、変な繋がりを感じたのが冒頭の家の中で、ヒキ→ヨリ→ヒキ(同じヒキ)みたいな違和感を感じる繋ぎが2回ぐらいあった。

あと浅草駅の地下の飲み屋のシーンとか差し込む光が嘘臭え。ビールに謎に光差してて変。cmか。

銭湯で湯に口まで浸かるのキモい。


もしかしたら、結構実験的というか普通の映画スタッフの組み方じゃない制作チームなのかも知れない。宣伝の仕方もなんか違うし
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