久しぶりに鑑賞。
今の映画にない、曖昧で緩いテンポとソフィアコッポラの絶妙な映像センスと選曲が良き。
時間流れも現代と全然違う。
同性である母親が娘に厳しく、父親が逆に緩いというのも、まさに異性には理解出来ない世界観がそこにはあるのだと感じさせる。
あと一定の距離感で離れて彼女達を描き、ナレーションベースにした事で、虚無感や曖昧な存在により感じさせてる。
全体に漂う儚さはそこからきてる気もする。
ガスヴァンサント似てて、漂う空気感を画面から感じる。
目に見えない空気や木々の伝染病、そして10代の彼女達を死へと追いやる閉塞感、終盤のガスマスクをしたパーティもそうだが目に見えない空気、汚染、空気感みたいなものを映画全体で描いているし、その後も続くソフィアコッポラ自体の作風がまさにそれで、空気感を捉える事に拘りを感じる。
あと最初に自死したセシリアは、特にその空気感を敏感に感じた子であったと思う。
彼女は自死する前のシーンで、パーティに尋ねてきた障害を持つ男の子を、楽しげではあるがみんなで笑うシーン、男の子自身も楽し気ではあるのだが、やはり残酷に思えるシーンで、セシリアはいち早くその空気感、息苦しさに気付いてその場から去り、2階から飛び降りる。
障害者の男の子が好き好んでやっているのではなく、気に入られる為に自己保身でやっていて、その哀しさみたいなものを、感じ取ったのではないだろうか。