KOZRO

枯れ葉のKOZROのネタバレレビュー・内容・結末

枯れ葉(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

「枯れ葉」、社会という樹から落ちながらも自分を守りながら生きている人々。

劇中のほとんどのシーケンスに「物を廃棄する人」と「それを拾う人」が繰り返し登場する。

スーパーで賞味期限切れの商品を廃棄する仕事をするアンサ、それをこっそりもらう人々。
本来廃棄する予定の食品をくすねたからって、社会には何の影響もない(むしろSDGs的にはいいことしてる)。
しかし、それがバレた時、まるで自分自身が”賞味期限切れのモノ”になったかのように、アンサたちはあっさりとクビ=捨てられてしまう。

そしてレンタルPC店では、「パソコンは消耗品だから高級である」という皮肉を言われながらも、転職先を見つける。
転職先のパブは、社会に希望を見出せない無表情の男たちがたむろする。「捨てられたものを拾う」の象徴だろう。
そのパブで彼女は、コップを捨てずに”洗う”という仕事に着く。

が、すぐに職を失い・・・

というように、アンサは仕事のなかで「捨てる」「捨てられる」「拾う」「拾われる」・・・
を無表情に繰り返しているのが印象的だった。

ホラッパはアルコール依存症であり、土木作業員。
作業場では、なにやらモノを淡々と機械的に廃棄している作業員が映される。
ホラッパは、作業用の機械が2時間おきに壊れるので交換して欲しい、という。自分が作業員として使い古されるように、自分自身も機会を使い捨てにしている。
また、彼が吸い続けているタバコなんか特に「使い捨て」の最たるものである。

まさに社会という大樹から切り離されたような「枯れ葉」である2人は、カラオケ屋で出会い、パブで再開し、恋に落ちる。
ホラッパはアンサから貰った電話番号を、タバコを取ろうとして無くしてしまう。しかし2人の誤解を解くきっかけになったのも、映画館で待ち続けた男が落とした「タバコの吸い殻」であった。

美しすぎる構成。

またこの映画の中でもう一つ重要なものは「笑顔」だと思う。
映画の中では、意図的だと思うけど、極端に「笑顔」が少ない。
ゾンビ映画を2人で観終わった後、彼女は「こんなに笑ったのは初めて」というが、その爆笑しているシーンすらカットされている。
その彼女が唯一心から笑っているのは、
「処分」の対象だった犬を拾い上げて一緒に暮らしているシーン。

その後、「捨てられた物同士」である2人と一匹が歩いていくラストシーンでは、
犬の名前が人々に笑顔を与える喜劇王「チャップリン」であることが明かされる。

「捨てる、捨てられる」「拾う、拾われる」というモチーフのメタファーの連続でこの映画は構成されている。
孤独を抱えながらも愛する人を見つけ寄り添い合う人々、傷つきながらもなにかを捨てながら前に進もうとする人々を「枯れ葉(Kuolleet lehdet)」と題する。
その枯れ葉が寄り添って重なった時、人は笑顔を取り戻す。
なんて美しい表現なのだろうと思った。
KOZRO

KOZRO