ナガエ

関心領域のナガエのレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
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もちろん理解できる。何を描いているのか、何を描きたいのか。全部とは言わないが、分かっているつもりだ。

しかしなぁ、それはそれとして、「映画として面白いのか」と考えると、なかなか難しいものがある。

「ホロコースト」を描いた映画はこれまでにも散々観てきたが、本作には「ユダヤ人」は映らない。アウシュビッツ収容所の隣の家に住む者(アウシュビッツ収容所を管理する司令官一家)は、時折響く銃声や看守の怒号、あるいは煙突から上る煙などで隣の様子を知るのみだ。大人たちはともかくとして、その家に住む子どもたちが、「隣で何が行われているのか」を知っているのかどうかもよく分からない。

「ホロコースト」という、人類史上で見渡しても最悪中の最悪と言っていい出来事と、その隣に住む者たちの「あまりにも幸せな生活」(司令官の妻などは、ある事情からここを引き払わなければならないという話になった際、強硬に抵抗したほど、ここでの生活を気に入っている)が極限までに対比されている作品だ。そうすることによる異様さやメッセージ性は、とてもよく理解できる。

のだがなぁ。

タイトルの「関心領域」(英題も「The Zone of Interest」なので、直訳と言っていいだろう)から考えても、「収容所の方に関心を向けないこと」を描くことに意味があるということはもちろん理解できる。だから、「映画の中で描かれている生活」と「隣で行われている残虐さ」は基本的に繋がらない。僅かに、彼らの生活の断片にそれが現れるのみだ。

例えば、割と最初の方で、司令官の妻(だったと思う)がお手伝いの2人(だったと思う)に、「ここから好きなのを持っていって」と割と多目の服をテーブルに置くシーンがある。恐らくだが、その後描かれる別の場面の会話から考えても、その服は「焼却されたユダヤ人が直前まで着ていた服」なのだと思う。しかし、僕が今「なのだと思う」と書かなければならないぐらい、その服の出所に関する言及はなされないし、関心が向けられない。それが、当たり前の日常なのである。

こういう話になるとよく思い出すが、心理学の世界で非常に有名な「キティ・ジェノヴィーズ事件」という殺人事件がある。NYのある夜、女性の叫び声を聞いた者が38名もいたのに誰も通報せず、女性はそのまま亡くなってしまったというものだ。ここから心理学の「傍観者効果」という考え方が生まれた。

『関心領域』で描かれている状況とは大分異なるものの、人は容易に「傍観者」として、「関心を向けない」という振る舞いを出来てしまうようになるのだろう。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というわけだ。そして本作は、そのような「強烈な無関心さ」を描き出しているわけで、だから「壁の向こう」との関わりがない展開は当然と言える。

しかしだからこそ、画面に映し出されるのは基本的に、「つまらない金持ちのつまらない日常」ということになる。そして、やはりそれはつまらないだろう。構造的に仕方ないとは言え、本作においてこの点は、ちょっとクリアしようのない困難さではないかと感じた。

個人的に一番興味深かったのは、ユダヤ人を焼却する装置の構造だった。なるほど、これはとても良くできている。第一と第二に交互に熱を移動させることで、「焼却」と「冷却・灰の改修」を連続的に行えるというのだ。ドイツ人らしい合理性だなと感じた。

あまりにも説明がなく、「あれは一体何を意味する描写なんだろう?」と思うような場面が多かった。冒頭から、「観客向けの説明なんかしないぞ」という意思がバンバン伝わってくるので、まあそれはいいのだが、そうなるとやはり、受け取り方には大きな差が出るだろうなと感じた。まあそう考えると、本作が「アカデミー賞国際長編映画賞」を受賞したのは良かったのだろう。どんな作品もそうと言えばそうだが、本作の場合は特に、より広い層に観てもらわないと、ズバッと突き刺さる人が出てこないような気がする。
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