Paula

ドラキュラ/デメテル号最期の航海のPaulaのネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

"May you see the end of your
journey."
口入屋の予言が冒頭のテロップに繋がるように

IN 1897. A RUSSIAN SCHOONER
WAS CHARTERED TO CARRY PRIVATE
CARGO. CONSISTING OF FIFTY
WOODEN CRATES.
FROM ROMANIA TO ENGLAND.

WHEN THE SHIP ARRIVED. IT WAS
DERELICT.

THE NAME OF THE VESSEL WAS
DEMETER. AND THIS IS THE STORY
OF ITS CREW.

BASED ON THE CAPTAIN'S LOG
FROM THE NOVEL DRACULA.
慣例から船のことを’She’と表現することより
デメテルは古代ギリシアに登場する豊穣を司る女神であり、その一面には冥界との深い繋がりもあるとされている。

ところで、この作品『ドラキュラ デメテル号最期の航海』について現代ホラー小説界のパイオニアであり寵児でもある、キングが当初は懐疑的に見ていたものを...

"It reminded me of the best of the
Hammer movies from the Sixties
and Seventies"
と褒めたたえていたけど、このオッちゃん、もとい、大作家さんはへそ曲がりのうえに自意識過剰人間なので次の瞬間、手の平を返すように180度違うことをほざくので、もとい、語るので信用はできませんですます。

モキュメンタリー『トロール・ハンター』では脚本と監督を務め、しかも誰も見向きもしない死体安置所を細部まで精巧に再現するばかりか、サブ・キャストのジェーン・ドウがその陰惨さを克服した作品に対して、いつもは手厳しい批評家は
"a smart, suggestively creepy
thriller"
と称えていた。そして極東の尻尾をなくしたエイプの国では、映画の事より、セコイ水揚げのほしさから映画のトレイラーではデル・トロの名前を前面に押し出し、個人的には全体的に精彩さを欠いたと言える『スケアリーストーリーズ 怖い本』であり、彼の作品の中でも好意的に捉えているノルウェー政府から技術面や資金面で援助を受けた素朴なサイキックもの『MORTAL モータル』などウーヴレダル監督が作り上げたダーク・ファンタジーへの御奉仕するギミックに関しては凡人の域では到底およばない。

ブラム・ストーカーによる『ドラキュラ』の第七章...
「最恐のエピソードを映画化!」なんて宣伝文句に謳う映画サイトは、はっきり言って彼の小説の第七章を1行も読んでいないのか、それともクックアップ*好きな嘘つきなのかが分かる。だって、この短い章は3つのパートに分かれていて、まず最初に地元ではテートヒル埠頭として知られている、東崖の下に突き出た埠頭の南東隅に突き当たって難破しているデメテル号。その船長による「ship's log (船のログ)」と呼ばれている "U.S.S.エンタープライズ" ジェームズ・T・カーク船長がドラマのいっちゃん始めに読み上げるシーンでお馴染みの航海日誌を発見するところから始まる... 映画では4分も満たない短縮されたプロローグで登場している。
※クッキングペーパーの名前で使われている「クックアップ」... それは昔、映画評論家が人生の再出発的な意味を込めて "change of life" とテレビで仰っていたのとの共時性を感じます。悪意のある発言です。

そしてメイン・プロットとなるパートⅡ
航海途中でうつ病を発症をした船長による日誌の中でも特別に瓶に詰められたログには夜間に操舵を担当していた船員が一人ずついなくなる為、狭い船内というワンシチュエーションで起こってしまう彼らの恐怖によってパニックが引き起こされる様子が記されていた。あくまでも小説のフェイクと言うよりも基本は "set up" がログという記録なので個人的には怖さもへったくれもございませんけど... 何か?

エピローグとなるパートⅢ
ミナ・マレーの日記が示されているので本作とは何ら関係がないので割愛します。失礼。ただし、このミナという女性は小説『吸血鬼ドラキュラ 』の最後にヴァン・ヘルシング教授がドラキュラ伯爵の居所をつかむ為の重要な人物となっている。

第七章の主な部分にあたる船長によるログはあくまでも一人称で書かれているものなので映画に直接には脚本としては成り立たないこともあり、それに付け加えるように小説では一切登場しない複数のわき役と主人公をジョン・ドゥの船長から医師でありクレメンスと名乗る人物にスイッチしているところや肝心のドラキュラの弱点はこの章に限り存在はしないことが挙げられる。だから日光に弱い弱点を映画に採用しているので変なロジックになってしまう。

映画自体はキングが語ったようにホラー映画にとってピーター・カッシングとクリストファー・リーの2大スターを生みだした古き良き時代のハマー・フィルムの懐古的なところや一見すると、60年代のアメリカにいたとされるエイリアンの可愛いペットちゃんであったモスマン(Mothman)に似た危険な神話上の動物で、しかも醜くて、物腰の柔らかい、人食いヌーディストのドラキュラと乗組員たちのいたちごっこは、19世紀風にアレンジをした『エイリアン』が航海上で暴れまくるバリエーションのような演出で、ウーブレダル監督は、ジャンプスケアを惜しみなく投入し、最悪の事態に至るシーンは彼の蓄積された精巧なギミックによる洗練されたゴア表現を増やすことで、魅力的なプロットの欠陥を補おうとしているけど、これはサム・ライミのキャリアをスタートさせた伝説的カルト映画『死霊のはらわた』で驚異的なプロデュース効果をもたらしたものが、本作での暴力に関しては、あいにくライミ監督のものと比べると創造性も芸術性も何一つとして存在はしていない。それは、時折、頭蓋骨がカチ割られると、つまらなさ過ぎて「だから何?」ってふうになってしまう。

どうしてもこの映画を好きになれないのは、子供に対して凄惨な表現を用いているところであり、決して許されないと思ってしまうことで『カモン カモン』で見せたウッディ・ノーマンという役者さんを台無しにしてしまっている... ただ彼の立ち位置を考えると当然の結果としてあたしの脳ミソウニは予見していたけどね...(´∀`*)エヘッ?

色々と画面を見ているだけで役者さんたちの肉体的苦労が分かるシーンの連続で、いわゆるラッセル・クロウがまだ人間のサイズであった頃の出演作『マスター・アンド・コマンダー』を甦らせてもいる。ラッセルさんのファンの皆様、シッツ礼しました。

いまさら、古典的題材って... 
「なによ、なによ、なんなのよ!」  お粗末さまでした。失礼します。
Paula

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