灯

四月になれば彼女はの灯のネタバレレビュー・内容・結末

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ただのメモ書き

・愛を終わらせない方法は、手に入れないこと、という悲しい価値観を持った長澤まさみが最後、手に入れた愛である佐藤健が追いかけにいったことによって、手に入れた愛も終わらないことがある、と知った。
・長澤まさみは自分が佐藤健のことを好きなのかも、佐藤健が自分のことを好きなのかも分からなくなっていた。だから、自分には欠けてしまった佐藤健に対する愛を、今も持ち続けている森七菜に会いに行った。
ここで一緒にこの映画を見た人から、森七菜に対してどうしてまだ佐藤健のことを好きでいられるの?と聞かずに、森七菜がどんな人間なのか、関わることによって感じて終わった理由が納得できないと言われ、あぁ確かにと思って自分なりに考えてみた。
私の結論としては、長澤まさみは、佐藤健と恋愛関係を続けたくて森七菜に会いに行ったわけではない、ということ。もう家を出た時点で長澤まさみは佐藤健との愛は終わったもの、としていたんだと思う。佐藤健との愛は既に手に入れたものだから。手に入れた愛は終わってしまうものだから。
だから、森七菜がどうして佐藤健に愛を持ち続けられたのか、それを聞いても意味が無い。それを聞いて、自分もそういう気持ちはあるかも!佐藤健のことまだ愛してるかも!と思いたくて森七菜に会いに行ったんじゃない。
ただただ、自分が愛を終わらせる時、最後に気がかりだった、自分が愛した人をずっと愛していた元カノである森七菜がどういう人なのか、その存在を自分の目で確かめたかったのかなと思った。
長澤まさみは、森七菜が自身も消えゆく命の中で、同じように目の前にある消えゆく命や、人の気持ちのような温かいものを、永遠に残る写真という形で残していく姿を見て、森七菜という存在を感じ取ったのかなと思った。長澤まさみが最初に出会った森七菜は、自分が元気だからみなさんの写真を撮りますよーじゃなくて、ヘルパーさんに手を借りながら、それでも目の前の人の写真を撮るんだ、という意志を持っていた。そして森七菜は撮る側だから、写真の中に森七菜は残らない。そんな彼女を見て、私が撮りますよ、といって、森七菜の写真を撮る長澤まさみ。そういうところで2人は心が通じ合えたのかなと感じた。私という存在に会いに来てくれてありがとう、のありがとうだと感じた。

森七菜は最後に、佐藤健と行くはずだった、見るはずだった景色を見て回りたい、と無理をしながら(治療をしながら)海外をまわった。
それはある意味、森七菜にとって、佐藤健への愛に終止符を打つという意味も持っていた。

そして佐藤健は、自分の愛する長澤まさみが見ていた景色を見たいと思った。だから長澤まさみの部屋でピアノの楽譜を発見したり、そこに作成途中の動物の説明書きがあることを見て、動物園にあった動物の説明書きは長澤まさみが書いたものなんだ、と気づいた。そして実際に動物園に行き、長澤まさみが見ていた景色を見た。

ずっと一緒に居たのにまだ相手の分からない部分がある、という描写が数箇所あった。
おばあさんが、森七菜が撮った写真に写ったおばあさんの夫の優しい笑顔を見た時、
佐藤健が長澤まさみがピアノの練習をしていること、長澤まさみが動物の説明書きを書いていることを知らなかったこと
ずっと一緒にいても、一緒に生活していても、知ろうとしないと、見ようとしないと見えないものがあると感じた。

ただ、長澤まさみみたいな女性は、個人的にあまり好きでは無い。
灯