タロタリーナ

四月になれば彼女はのタロタリーナのネタバレレビュー・内容・結末

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

この映画を観るきっかけとなったのが、高二の頃に付き合っていた彼女がてきとうに手に取った本がたまたまこの作品で、この度、映画化されるということで視聴した。

難しいという批評がある中で分かった気になるのも烏滸がましいが、フジシロは愛する人が居てしまうことによって、恋愛が義務化してしまっているのだと解釈した。
バーにて、1人で生きることに覚悟を決めたタスクと婚約中のフジシロが飲んでいるとき、2人の恋愛観や生き方に対する価値観の違いがあり、そこで人生の多様性について考えた。
私は、他の女性と文通し、過去を拭いきれていない、ある意味覚悟のない結婚をするフジシロの気持ちには共感できない。それは、必ずしも愛を形にする必要性はないと思っている、私の思想でもある。
しかしこの作品には、恋人から結婚、そして情が湧くまで、恋愛についてのあらゆるロマンや苦難が詰まった映画だった。恋人と原付で二人乗りしたり、フィルムカメラで景色を撮りながら街中を散策したり、旅行の計画立てるシーンには、心躍らされた。何より1人の人間を愛したいと思わされた。

この映画にはヒロイン役が2人出てくるのだが、家庭の事情や不治の病、鬱病といった描写が2人にはあり、純粋に愛することができたとしても、のちにこれらの事情が浮き彫になっていき、恋愛に対して臆病になっていくのが、すごくもどかしくもあった。

高校の頃の思い出も相まって、エンディングには自然と涙が溢れてしまっていた。その人が好きだということに疑問を抱かず、一緒に居る意味や必要性も気にしない、純粋に恋をしていたあの頃。私にもそれがあった。
しかし、付き合っているうちに優先順位や好きな理由を考えて、そこに価値観の歪みが生まれてしまう。現代の人たちが、結婚は決してすばらしいことだけではない、と言うのもわかる気がする。

この原作が手元になかったら見てなかったと思うと、あの頃の自分と彼女に感謝したい。当時の記憶を蘇らせてくれた、思い出に残る作品だった。