Mao

瞳をとじてのMaoのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ジワジワとした展開の広げ方、そして展開の閉じ方が美しすぎる。確かにこれは拍手したくなるレベル。怪物みたいな構成してるし、名作長編小説のような感覚がある。今年ダントツトップで更新される気配すらない。

数十年間終わらせることができなかった物語の中に閉じ込められたフリオを掬い上げる物語だと考えた。

フリオは、抑うつ的になり、自分(フリオという存在)を損なわせるために、今与えられた役を降りないという選択肢を見出した。『別れのまなざし』の登場人物であるフランクを演じ続け、悲しき王・レヴィの娘を探すために世界中を駆け回る。しかし、演じ続けているうちに自らの名前を喪失してしまい、気付けば自らが「悲しき王」になっていた(胸像はその暗示なのでは?)。そこで、映画監督としてフリオに物語を背負わせてしまったと気付いたミゲルが娘と再会させ、「瞳を閉じる」ことで役から降りることができたのである。

こうして考えると、この映画の最初と最後に見せられる『別れのまなざし』の映像は劇中劇としての役割程度ではなく、この映画それ自体であって決して欠かすことのできない映像だと分かる。劇中劇としての映画だったものが、劇中劇ではなくその映画自体へと推移していく感覚がある意味ではどんでん返し的で、この構造自体がかなり面白い。「なんで数十年間映画を作らなかったのか?」と言われることがあると思うが、映画を長い間作ってこなかったという背景を欠いては作れない映画であることは間違いない。

物語の力強さ、そしてその背景にある魔力をまざまざと見せ付けられた。俳優という職業は「自分を騙す」職業だと思うけど、精神性に尋常じゃない影響をきたすんじゃないだろうか。
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