シアン

瞳をとじてのシアンのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

大好きな「エル・スール」と、新作の「瞳をとじて」を続けて鑑賞。大学の図書館で出会ったエルスールのDVDを初めて観てから約10年。漸くスクリーンで観られることが本当に幸せだと思った。
一緒に並んでいたマダムが「30年ぶりに観るんですよ~!」とわくわくしていたのが印象的。
エルスールは、とにかくどのシーンで止めても美しい。1秒1秒、絵画を並べたような、緻密に練られた映像。かもめの家、アグスティンの秘密の詰まった屋根裏部屋。階段で頬杖をつくエストレリャ、その薬指のリングも。
岩井俊二に影響を与えているというのも納得。
物語のまとまりの良さや鮮やかな伏線回収よりも、一瞬の美しいシーンがよほど説得力を持つことがある。


「瞳をとじて」
ビクトルエリセがまだ生きておられたことに驚いた。大好きな監督の、遺作になるかもしれない作品。大切に観受け止めた。
退屈な映画だったのかもしれない。あちこちから寝息が聞こえてきて苦笑してしまった。

舞台は2012年。主な登場人物は高年で、1990年代に映画をつくっていた人たち。
この数十年で、ビクトルエリセがかつて馴染んでいたフィルムでの撮影は、過去の遺物と化した。
そのことを作中で皮肉に表現しながらも、最後には、やはりフィルムを、映画館で、上映することにこだわるミゲル(≃ビクトルエリセ)は、映画という魔法を、誰より信じているのだと思った。

ビクトルエリセは、撮影手法デジタルに変わっても、画の美しさは昔から少しも変わらない。海辺の町、ガルデルと漆喰を塗るシーン。ラストの上海ジェスチャーと、花瓶の水でアイメイクを落とすシーン。


逆行性健忘になってエピソード記憶は沈んでしまっても、例えば言葉とか、昔覚えたテクニックとか、そういうものは失われないと、わたしは心理士として知っている。
高齢者施設で、昔の歌を歌うと、ご本人にもなぜかわからないけれど、自然と口をついて出てくることがあるんだ。

これから、おそらくビクトルエリセ自身が老いて、死へと向かっていく。E・H・エリクソンによると、老年期の課題は「統合」危機は「絶望」。
ガルデルがあのラストシーンで何を思ったのか、何かを思い出したのかは明らかにされていないけれど、確実に、何かが響いているのが伝わってきた。
本人が思い出すかどうかは、重要じゃないと思う。
周りが折り合いを付けて、また最初から友達になって、いろいろあったけど、いい人生だったと思えたら、それで。

ビクトルエリセが、ここにきてこんな映画を撮ったのは、きっと、エリセの人生の統合という意味があったのではないかと思う。周りの大切な人たち、あるいは自身がこれから大切なことを忘れてしまっても、自分の映画は何よりも自分だと示したかったんじゃないかな。
シアン

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