デニロ

湖の女たちのデニロのレビュー・感想・評価

湖の女たち(2023年製作の映画)
4.0
ここのところ堅実な演出をしていた大森立嗣監督でしたが、本作は何かを思い出したかのようで、実につかみどころのない作品を作り出した。どちらといえばこれは本領を発揮したということなのだと思いますけど。サディスティックな吉田修一の原作に責められて悪魔の尻尾が痙攣しているんじゃあなかろうか。

ワンシーン・ワンカットの長いショットの周辺に短いショットを散りばめて、その短いショットの中の台詞を繋ぎ合わせると朧気に筋が通っていく、といった案配で、それでも果たしてわたしの頭の中と作者の頭の中は≒となっているのだろうかと心細くなる。

尻を突き出せ!尻を高く上げろ!女の衣服を脱がせ言葉で攻め恥辱を与える。全裸の女/松本まりかは絶え入る様に叫ぶ。/こんな女になってしまって、ごめんなさい。/女を責めるのは福士蒼汰。ふたりはある殺人事件の捜査官/刑事と参考人だ。その渦中でお互いの性癖を探り合うようにして誘い誘われ凭れあい絡み合う。犯行時間にどこに出掛けたのか。福士蒼汰は問う。湖。夜明けを見に。暗い目で女を見る刑事。灸を据えている女の肩。我慢する女の顔。凝視する福士蒼汰。官能が忍び寄る。俺に会いに来たんだろう。湖で何をしていた。車中で自慰をする女。

介護施設で100歳の入居者が人工呼吸器の作動停止で死に至る。警察の捜査で殺人と断定され、当直で担当の介護士/財前直見が犯人に擬せられる。上の方で早期解決を望み怪しい奴を犯人に仕立て上げる。今も何十年も前の殺人事件の再審が進行中で、そんなのは警察の捏造で証拠にならんと最高裁から高裁に差し戻されているのに、検察はなんだか知らぬが再度死刑を求刑して裁判を続けた。高齢の被告の死を待ってうやむやにしようとしているとしか思えない非道をしている。警察、検察なんてそんなものだ。国民や正義のためにあるのではなく、組織の都合や、組織の名誉のためだけにある。つまり、権力のためにあるのだということがよく分かる。財前直見も、介護士は、看護師からは下にみられ、賃金も低く、その恨み辛みで犯行に及んだという自白調書を提示されていた。わたしはこの仕事に誇りを持っている、そんなことは断じてしない!

さて、そんなことを織り交ぜながら、物語は更に斑に連なっていく。殺された100歳の老人は旧陸軍731部隊の軍医で満州で人道に悖る人体実験を繰り返し、最近では薬害事件の主要な関係者で、この薬害をこのまま放っておくとどうなるかという不作為による人体実験をしていたのではないかという疑いがあった人物。その容疑を追っていた刑事/浅野忠信は、上からの命令で捜査中止を余儀なくされる。今、新たな殺人事件と過去の薬害事件を結び付けて取材をするのが記者/福地桃子。いろいろと入り乱れます。

謎のYouTube動画に写っている殺人事件のあった部屋の前の画像を見ながら福地桃子は仮説を立てる。調べていくうちに犯人像が浮かび上がって、映画はそれを仄めかすショットを観客に提示する。役立たずの老人はこの世から消し去る。この辺りは短いショットで組み合わされていて、そう言うことなのだろうと思いながら目で追うしかない。三田佳子が、100歳の老人の妻役で登場して福地桃子の取材に応じる。そこで、過去の悪行をつらつら語らなければあれやこれやが繋がらなかった。いや、こんな事件なんてもはや興味の外なのは作者もわたしも同じだ。

遂には、福士蒼汰と松本まりかの加虐被虐性愛の長いショットが全体を支配してしまうのですが、松本まりかの全体を覆い隠してしまっていて、その官能は半減してしまう。尻を上げろ、松本まりかの尻の位置はわたしの手前に置かなきゃいけないんじゃあるまいか。福士蒼汰は、松本まりかの尻を反対側において責めている。これでは松本まりかが絶頂に達しない。それは美しいものじゃない!!
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