akaruiasa

哀れなるものたちのakaruiasaのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

知識人の男性と無垢で無知な女性というあまりにも非対称で不当な図から始まる。
その女性ことベラの出自は悲惨で、20代の女性の体で、その母親から生まれた子供の脳が移植されている。
この理由は、アルフィーという母親の夫にある。このアルフィーはまさしく男尊女卑と暴力というこの世に蔓延る理不尽の象徴として描かれている。本作ではこの理不尽を無垢(無垢であった)な女性がどのように乗り越えるか(歴史的に乗りこえようとしたか)が一番のポイントであると思う。

まず、マックスとの婚約自体、判断する方法のない女性を無理やり手の内に入れたいというマックスのエゴである。
しかし、ことマックスは最後にはその発想を悔いて改めているあたりに、時代に追いついた男性として描かれていると思う。
つまり、男性も変化することを示しているのだが、変われなかった男性がアルフィーを最後の姿へと変えるのだと考える(時代の変化に追いつけなかった男性の末路)。

次に、ダンカンとの駆け落ち後に、セックスを繰り返すベラであったが、哲学に興味を持つことでダンカンを苛立たせる。
この構図自体、男性が女性に無知であることを望む独占欲を顕著に描いている。
そして、豪華客船で自身が何不自由なく暮らせる中で、飢餓などに苦しむ人々を見つけるベラは、やりきれない悲しさの元に、自信の持つ全財産を投げ打つものの、仲介業者に取られてしまう。
これは、社会システムを無知な一人の人間が救う手立てがないことを示していると思う。
それを変えるためにも悲観だけせずに本を読み知識をベラは身につけていくのだ。
その後自信の財産を完全に無くしたベラは、パリで売春をする。
ここでベラは人の助けを得ずに経済的自立をする。
しかしながら、ここでまた社会のシステムの不均衡に直面する。
それは、売春宿のシステムであり、働き手(この場合社会的な弱者と言っていいだろう)の立場に立ってシステムを変えようとしても、経営が上手くいかないという現状である。

そしてこれまで書いたように、ベラは社会における女性やお金のない貧困という弱い立場の人々が受ける社会システムが生み出してしまった理不尽と直面したのだ。

それを乗り越えるべく本を通して知識と学びを得たうえに、経済的自立を通して、自身の体の所有権を勝ち取ったベラはゴッドの元へと帰還する。

ベラは自身の出自を含めた酷い扱いを生みの親であるゴッドとマックスに問いただし和解する。
ゴッドらはそれらを後悔して改めることを誓うのだ。
そして、変化したベラの元に自分の母親のことを殺した(自殺に追いやった)アルフィーが訪れる。
アルフィーはベラを女性器を切り取りまた自分の所有物として扱うべく、暴力(銃)を用いて母親にしたことを繰り返すように脅すのだ。

しかし知識を得て変化しているベラはアルフィーを簡単に倒して、脳をヤギに変えてしまう。
そして最後の場面では、ゴッド(過去の過ちを犯した者たち)とアルフィー(今もなお蔓延る時代遅れの男性像)は存在しない。
アルフィーは先の男性像を滑稽なものとして描いているのかもしれない。
また本(知識)を握ったベラ、助手であった女性、さらに成長をしているフェリシティーと変化したマックス(男性)という構図で幕を閉じる。
今のあるべき世の中を示していると感じた。
この映画で、色彩が付いていく様子は、ベラが認知している世界の色を示していると思うし、狂ったような性描写(かなり長いため見ていられないと思う人もいるだろう)は女性(社会的な立場で弱者であった人々)が長い間受けていたような理不尽を追体験できるようになっていたとも感じる。
しかしそれらの変態的な映像に散りばめられたモチーフは、男性の意図しない暴力性であったり、社会システムの不均衡さを表しながらも美しく描かれていた。
特に、アルフィーの家なんか暴力と古い男性像の塊的な感じで、すごいとしか言いようがなかった、、

こんだけ長々と書いたけど、はっきり言って理解できたのはほんの少しだし、考えもまとめられてなさすぎる。

だから元気な時にもう一回みようと思う。
akaruiasa

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