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哀れなるものたちのふむのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
3.9
映画ポスターを見て難解系かと思って避けてましたが結構イケるとの評判をきいて観てきました。たしかに割といけますな。予習無しでも、どうにかなります。

世界観が動くゴシック絵画のようで、起きてるのに夢をみているような不思議な感覚にとらわれます。
感動しないけど、不思議と見応えあり。小難しいシーンが随所にあるけど、不思議と眠くならないない。モロ出しエロ描写がそこそこあるように感じるけど、不思議と下品ではない。
高次元で再現した圧倒的な映像美と、地に足のつかないフワフワした世界観と、エマ・ストーン氏 マーク・ラファロ氏 ウィレム・デフォー氏の素晴らしい演技で見応えありでした。特に赤子から成人まで熱演したエマストーン氏はアカデミー賞の主演女優賞とりそうですな。


以下、ネタバレ含む。自分用のメモ。

〈蛇足1〉
・エモくない点:
天真爛漫で美脚でエロくて知的美人なベラって、男の願望っぽく感じてしまいます。 女性の成長とソーシャリズムによる自立をメインに描く傑作ながらも、インテリすけべオヤジ向けっぽい所がどうにも解せません。アカデミー会員の男女比7:3らしいが、ショーレースの秘策が電波系萌えヒロインのエロ攻めって、なんだろかと興醒めしてしまう点がややありました。

・逆転劇:
ベラを支配下に置こうとする男たちをブンブン振り回して、いつのまにか逆転する様にベラの知性が上回り男達を支配下に置くのは見応えありました。何気にターニングポイントはダンスシーンでしょうか。簡単に踊ってるように見えるけどブンブン回る超絶技巧の面白ダンスはスカッとします。ベラは旅にでて成長しますが、ラストで自宅に戻り家族と過ごす場面は「幸せの青い鳥」を連想し、ほっこりました。


〈蛇足2〉鑑賞後の考察、雑記
wiki系と公式HPリンクなどを参照/考え方は人それぞれ/

・ベラ:モデルは、「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリー(女性解放思想の母親と、宗教や国家権力全否定の父、から生まれたSFの先駆者)。箱入り娘に育てようとする父(ゴッドのモデル)に反発して、父の友人のイケメンと恋中になり、駆け落ちの旅に出た系のくだりを映画に使ったそうな。/フランケンシュタインの小説で、怪物が「女の怪物」を作るように言ったことが、ベラ誕生の元ネタ。/元ネタのフランケンシュタインの怪物も知能が高かった事、及び、映画内でゴッド(義父)に愛情を注いでもらった事が、ベラ急成長の設定につながるらしい。

・原作:前半は「語り手として登場する原作者」と「蘇った女性がいたとの個人誌を残した医師の記録」と「全否定するベラが残した手紙」でストーリーが進む。後半は、実はスコットランド国の擬人化ストーリーだったという展開になり、そこに原作の魂が込められていたとか。

・映画化:小説前半部分のベラによる女性の自立と成長に注力。中盤の娼館描写は、小説「ファニーヒル」の前向きな娼婦の話がモチーフだとか。(ファニーヒルwikiの挿絵は芸術的だけど規制しなくて良いのかな笑。小説は発売2年くらいで発禁になったとか。)

・フランケンシュタイン:
怪物を作った天才医師のこと。フランケンシュタイン=怪物は間違った認識(私の認識はがっつり間違ってたw。)。/海外の慣用句「自ら創造したものに滅ぼされるもの」。本作でベラはある意味、創造主(戸籍上の夫)をヤってますなぁ。ベラがハラスメント旦那の脳を、山羊(キリスト教で悪魔や淫欲の象徴)の脳に入れ替え、支配下に置くのはパンチの効いたジョークなのかな。(キマイラ(合成獣)は、中世キリスト教で淫欲や悪魔の意味あるそうな)。/メタファーとしての怪物=「母親のいない子供」「莫大な富と貧弱な貧困の分裂」/


・(wikiの紹介文から抜粋)イギリス・アメリカ・アイルランド合作のシュール的(英語版)なSFロマンティック・コメディ。←ジャンルが渋滞w。ここのあらすじが、わかりやすかったです。

・ベラの成長と発達理論:
エリクソンの漸成的発達理論、及びフロイトの心理性的発達理論(性欲、男性視点)等の過程にだいぶそっているっぽいですな。比較して、ちょっと感嘆。ただエロを誇張しすぎかな。まぁ、コメディだからいいのでしょう。

・19世紀にミニスカート:
無さそう。アートなファンタジーだからおしゃれなら、なんでもありなのでしょう。紀元前の原始人スタイルを除くと、1920年台からココシャネル氏がスカートを徐々に短く広めていき、戦争やなんやかんやはさんで、ミニスカートは1960年台から登場。

・19世紀の娼婦は客を選べるか:
選べ無さそう。19世紀、女性が結婚せず、自立して収入を得るのはほぼ娼婦のみ説。手取りは少なく、規制無く、梅毒などの性病が蔓延しており、映画よりもっと過酷な労働環境が一般的っぽいようです。

・山羊の象徴:
キリスト教の敵(異教徒。悪魔)の説。
キリスト教の勢力拡大の妨げになる山岳民族の家畜からきた説。キリスト教の従順な信者を「さまよえる子羊」とさし、羊より気性の荒い山羊は「神に刃向かうもの。悪魔の動物。異端宗教の象徴」とされていた説。/キリスト教の中世における「7つの大罪」で「色欲」を象徴する動物の1つが山羊の説。/山羊は性処理用の動物説。第1次対戦中にイギリス海軍が大量の山羊を日本軍に送ってきて意味が分からない日本人は食べちゃったとの逸話あり。動物と船乗りの行為が梅毒の発端との逸話もあり。転じて山羊男のキマイラは、ステレオタイプの有害男の末路としてパンチの効いたブラックジョーク説。現代の日本人には通じなかったけども。

・宗教批判の有無:
わからないが、「キリスト教の七つの大罪」と比較すると興味深い。
(重い順に、傲慢、嫉妬、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食。時代によっても違うとか。)
反意語はそれぞれの美徳に対応している説。(暴食⇔節制、色欲⇔純潔、強欲⇔慈善・寛容、憤怒⇔忍耐、怠惰⇔勤勉、嫉妬⇔感謝・人徳、傲慢⇔謙虚)
→中盤までは7つの大罪の世界観で、ラストは美徳側にひっくり返っている。神を信仰しなくても自立できる的なネタ含むのかな。
なお、21世紀版の七つの大罪には遺伝子改造と人体実験が入ってる。

・シュルレアリスム系:
日本語では「超現実主義」と訳されるが、「意識と無意識の混ざった状態」つまり「夢と現実の混ざった状態」こそが本当の現実と考えた世界観。

・(脚本家トニー・マクナマラ氏のインタビューより抜粋)我々ならではの作品としつつも、荒唐無稽で独創的、奇想天外でユーモアもある原作の精神が感じられるものとしたかったのです。/原作の哲学的な要素の中には感銘を受けるものが多々あり、小説のセリフをそのまま引用することもありました。/ベラは、自立を求め、自分が何者であるかを自らが決め、自分自身を創造していく能力を追求するキャラクター。
非常に楽観的で、いかなる経験をも恐れない、信じられないほど勇敢。社会の規範にとらわれることなく、追求していくのです。

・(脚本家トニー・マクナマラ氏が監督ヨルゴス・ランティモス氏に言われたことより抜粋)
ファンタジーであり、リアルな世界ではない。→ この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。と誇張しとかないとあかんネタ含むと推察。団体って昨今の規制を作った宗教や映画業界ふくむのかな。


・哀れなるものたちとは:

ポスターに出てくる男性達の事かと思ってたけど、どうもしっくり来ず。

男性優位な社会構造に慣れきっている人々への痛烈な皮肉と推察。
「見た目は女性」だけど「行動は男性」。

ベラの旅が「奇抜」と感じた人は、「皮肉」の対象なんだろな。男性が同じことをしたら普通だけど、女性だったら奇抜に感じる。19世紀から大きくは変わらぬ凝り固まった価値観が恐ろしい。

(ベラの頭は「胎児の脳」と曖昧にさらっと言ってたので男性的な構造の脳だったのかもと推察。シングルタスクで論理的思考をしており、左脳の発達傾向がみられますし、フロイトの心理性的発達理論は男性視点のみですし。あと、白黒からカラーになったのは、ベラの自意識が芽生えたのと、鑑賞者の色眼鏡をはかるモノサシでもあったのかな。「映画の登場人物達の中に哀れなるものを探す、本当に哀れな観客どもよ」と愉快に笑う監督と脚本家が目に浮かぶ。)

好みじゃないけど、総じて名作と感じました。
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