ogiogi

哀れなるものたちのogiogiのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.1
大衆映画なのに実験映像を観てるようだった。
出てくる全ての人々に私が共感を抱くことがなかった。通常の大衆映画では存在する共通の感情は一切なかったからかもしれない。
 主人公の時間軸は通常のものとは違うし、男たちの所有したいという暴力的な感情と力、ゴッドの純粋な好奇心によって行われた実験の後に生じる父性、婚約者のただ待つだけの時間も、私の感覚では持ち合わせていない。
上映中は傍観者を決め込むことしかできない。その映像上で起こる出来事は私たちの解釈で変えられるようなものではなくストーリーが終わるまで、ただの事実として続く。

劇中に出てくる主人公の愛を獲得しようとする男たちの半分は、イヴォンヌ・レイナーの"Film about a woman who…"で出てくるような70年代的な性認識の持ち主、つまり所有物としての女性、社会的弱者である女性を好んでいた。
前に挙げたレイナーの作品では、女性が夢の中で男の立場を手に入れることで性差を埋め、人間の権力や強さは男性にのみ許されているものだと女性は強く意識している。
『哀れなるものたち』では、女性像がとても21世紀的である。この映画で主人公は(人生の選択肢でそれが最適どうかは別として)他人の意見ではなく、自分の意思で答えを導く過程を選べる。答えを選ぶだけでなく、答えに辿り着く前の過程を自分の力で選ぶことができるというのが、レイナーの作品で出てくる女性のジェンダー意識にはなかった21世紀的女性の立場なのだ。

このストーリーがハッピーエンドで締めくくられることで、21世紀の私たちには、自由のために躊躇しないで突き進む権利と義務があると背中を押してもらっているようだった。
ogiogi

ogiogi