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シチリア・サマーのpengin07のネタバレレビュー・内容・結末

シチリア・サマー(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

最初にいいたいのは、凄い。
どう凄いかとかどうだったとかは言語が出来ないけど、ほんとに2時間越えなのかってくらいあっという間に2人の物語が終わった気がする。
あんまりこの作品を知らずに軽い気持ちで見ていたので、結構心にずんとのしかかってきた。
まず、一人一人の細かい動きやセリフが凄かった。そして何より、3つのセリフが私の中では心に残った。
ひとつは、「物語には全て終わりがある」というセリフ。
前半のそのニーノの台詞を最初聞いた時、まあ確かになーくらいしか思っていなかってが、後半のふたりが川のところで手を繋いで寝ている、という少し曖昧な終わりかと思ったが、最後の2発の銃声で終わった。つまり、2人の行き先というか人生の行き先がそこでしっかり終わっていた。
2人の物語が、終わったという描写を感じられた。このニーノの台詞がまさか伏線とは思わなくて、2人の人生の物語のことを言っていたのかもしれないと思って少し鳥肌が立った。
2つ目は、「秘め事にしていれば、100年だって続けられる」というニーノのおじさん(?)の台詞。
これは、私は少し残酷だなと思った所はあった。
確かにあの台詞はニーノの背中を押した台詞だが、そういう時代だからなのか、ただ、好きな人が男だったという事実、もしくは、同性で関係を持っている、という事をずっと死ぬまで秘め事にしなければならないという残酷さを感じた。
作品中でも男女のカップルがキスをしたり一緒に手を繋いだりしているのは違和感のないようになにも触れられはしなかった。当たり前なのかもしれないが、作中で、ニーノとジャンニが一緒にいるだけでも噂をされて腫れ物のように扱われていた。
その対比というか、同性愛というのは死ぬまで秘め事にしなければいけないという解釈を私はしてしまった。ニーノの背中を押す台詞と同時に残酷さという2つの対比している意味が重なった台詞なのかなと思った。
3つ目は、「どうして?」というニーノの台詞。
これは台詞というよりかその時の場面も含めての選んだ台詞である。
あの時ニーノは、父にジャンニを否定しているような台詞を言っていた。
「もう2度と会いたくない」というような台詞。あの台詞を言っている時のニーノの表情が少し歪んでいた。そして、あの二人がいなくなったあとの、ニーノのどうして?という台詞が、とても心にのしかかった。
ただニーノは、ジャンニという同性の男性を好きになっただけなのに、二人でいるところを見られただけで全てが変わってしまった。という事実がこの「どうして?」というたった一つの台詞に込められていたのではないかと感じた。

後半でニーノの背中を押したのが、お調子者のように書かれていたおじさんだったということがとても良かったと思う。
他の人物でも良かったのかもしれないが、常に遊んでいて、お調子者であったおじさんが、ニーノの背中を押してあげていた。
もしかしたら、おじさんはただ自分を出せないだけで自分を偽って生きているからこその台詞だったのかもしれない。
そして、ニーノとジャンニが出会った後の大衆が、イタリアが勝ったという宴のように向かっていた方向とは逆の方向に向かって言っている場面も印象的であった。
その描写は、2人は本当に自分たちで生きていくという強い意志を感じられた。
そして、その場面で今まででてきた人物の表情を移していた描写もいいなと思った。
何より衝撃的だったのは、最後のシーンの
2発の銃声である。
考察でもこの作品を見た人たちも言っていたが、犯人と思われる人物が「トト」だと言うこと。
作品中でもトトは、ジャンニに対する視線はすこし否定的であった。
ただ、トトが自分の意思で撃ったとはあまり思えない。
ただ、ニーノ達に頼まれたのかと言われるとうーんとなってしまう。
2人は自分達で生きるという道を選んだのに、自殺するのかと思ってしまう。
私が考えるのは、トトがどういう意思で撃ったのかは分からないが、きっとニーノ達はどこかで、殺されることをわかっていたのかもしれない。それをわかった上で、2人は殺されることを受けいれて手を繋ぎ寝ていたのかもしれない。もう逃げないという台詞とふたりが大衆とは別の方向に向かっていたのも全て、せめて殺される前に2人の世界に居たかったというせめてもの思いがあったのかもしれない。
長くなってしまったが、今は同性愛は受けいられているという風潮であるが、どこかで今回の映画のような否定的な感情をみんな持っているのではないかと思う。
LGBTの団体もあるが、
根本的な部分や社会の風潮は、もしかしたら、当時のイタリアの様に、今も何も変わっていないのかもしれない。
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