「じゃあ俺はもう行く」
過去から立ち上がる青春劇!
中国と北朝鮮にまたがる冬の天池はハオフォンが眺めていた画集そのまま立ち起こした水墨画のようで美しく、その雪に覆われた景色が多くは語られない3人の過去と現在の閉塞感とを暗示しているようで、けれど“寝転び”から(直接は描かれなかったけれど)立ち上がって揃って下山した時点で、たとえ目的地へたどり着けなかったとしても彼らは前に向かって進めたんだと思う。04:45を指したまま止まった時計が不穏だったけど、止まったものを置いていったと見れば解放への歩みなんだった。当局の検閲の関係で自殺めいたことが直接描けずああいった暗喩になったのかもしれないのは否定できないんですが……
シャオがせつなすぎるよ〜!!
いいなって思ってた子がいきなりツアー客の男の子を連れてきて、しかも上海で金融やってるハイパーエリートだし、けっこうナナと長く接していたはずなのにそいつは初めて会った日にいきなり家に呼ばれるし自分は「その程度の仲」とか言われるし。そんで三人で遊ぶからってナナの家に迎えにきたら明らかに(いやぜったいヤったじゃん!!)みたいな空気のハオフォンに迎えられて、でもそこで取り乱すのもダセーから「いこうぜ」って言うしかなくて、クラブでナナとふたりで踊ってるときのここだ!の瞬間でさえうまくかわされて、でも三人の距離が不思議と縮まっていくにつれて(酔っ払ってるとはいえ)氷を口移しはれたり、出てゆくと決意したら名残惜しそうな、でもだからこそのキスなんかされたり……書けば書くほどナナが奔放な小悪魔みたいな構図になっちゃった
「楽してるだけ」とナナがシャオへしきりに言ってクリティカルを出してるけど、たしかにナナはメダル候補相手にさえ「あなたほどの才能はない」と言わしめるほど努力したのは間違いなく、ハオフォンも外へ出るために努力を重ねていまがあるわけで、シャオも努力することを諦めて16歳の頃に“外の世界が見たい”という一心だけで叔母へついていったわけで、たしかにナナから見るとそう見えるんだよな。だからこそ最後にあの辞書を持って、ひとりでは入ることのなかった本屋で、そして自分で決めたゲームのルールのせいだから偶然だけどそれでも自分で選んで掴んだ辞書を持って自分の人生を進む構図が本当に鮮やかだった。ハオフォンよりもシャオのほうが好きだな
退廃的で閉塞感があって、でもそれだけじゃない雰囲気が好きだったけど、あのシャワーカーテン越しに触れ合うシーンが官能的いや有り体にいえばすけべすぎて大部分が飛んでいった。すけべすぎるやろ