ユウサク

ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワーのユウサクのレビュー・感想・評価

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映像の中の女性がヘテロ男性からどのように眼差されてきたのか、多角的に分析。特に「レイジング・ブル」のやつはめちゃくちゃごもっともだった。「パリ、テキサス」がちゃんと批判されてたのも良かった。あれ酷いから。レオンの一個前のルイ・マルのやつとかも酷過ぎてスクリーンを直視できなかった。「アデル〜」の性描写が良くないのは把握してたけどその後監督が別の映画の性行為の撮影にアルコールを使ったと知ってドン引き。
「スキャンダル」のあのシーンに対する批判も非常に的確で、日頃から「その行為が醜悪であると描くために被写体が犠牲になっていることがないか?」と思っているので、やっぱりこういうのはダメだよと改めて確認。「軽蔑」だって、もし皮肉だとしても主張と出力されてる映像が矛盾しているから。だから「皮肉」はダメなんだって。
一番印象に残るのは「ブレードランナー 2049」だと思うけどあの後アナ・デ・アルマスが「ブロンド」でどんな扱いを受けたのか考えると本当に嫌な気持ちになる。ロザンナ・アークエットの経験談もとても辛かった。
もちろん「マンディンゴ」の例でわかるように裸=ダメではなく、主体性の有無が問題だという話で、そうなってくると「ハスラーズ」や「TITANE チタン」は引用のされ方がちょっと間違ってる気もするんだけど、でもここまで映像言語による洗脳が蔓延ってる状態だとそういう文脈すら破壊されて、その時その時画面に映ってる要素にただただ受け身状態の人も多いだろうから、やっぱり慎重に慎重を重ねるべきなんだと思った。

映像以外で印象的だったのが劇伴で、いきなりドキュメンタリーらしからぬ大仰なオーケストラ曲で幕開け。しかしこれも後に意味があったんだと気づく。性暴力の描写に対してドラマチックで「甘美」な音楽をつけることによって、印象操作をしてきた例を挙げられた時に、なるほど、このドキュメンタリーはその手法を逆に利用してるのかと。今までなんてことない「当たり前」のシーンだと思われてきた描写が実はMale Gazeまみれであったと、大仰で恐怖を煽るような音楽をつけることで、目を覚まさせるというか。この劇伴の作曲家のシャロン・ファーバーは女性で、「女性の作曲家は数%しかいない」という話とも繋がってくる。

ただ問題点を指摘するために実際の映像を使うから、二次被害的になってしまっていないかとは思った。映画ドットコムの記事では権利関係について少し触れられていたけど、出演者全員に許可を取ったわけではなかった。難しいとは思うけど、だからといって試みる必要がないとも思えない。絵で表現してるところもあったから全部そう出来たら良かったのではないかと思うけど、イラストレーターに凄い労力がかかりそう。

ヒュートラ渋谷には各媒体の切り抜きが掲示してあってその中に4人で対談してるやつがあったんだけど、いちいち「?」が浮かぶような内容だったのでどこの雑誌なんだろうと良く見てみたら「映画芸術」って書いてあって「あー……」って嫌な納得をした。なんかこう、結局権威に阿ってる人たちの内輪の会話、という感じがしてしまった。「TITANE チタン」の引用に関してもわからなくはないけど、文脈ガン無視してるわけじゃなく、観客がその文脈を読み取れるとどうして言い切れるんですか?という話だと思う。
その場その場の話じゃなくてもっと大きな構造の話だということを理解せずに、「説教くさい」的な印象を共有してるだけに思えた。もちろん全員がそういう態度ではなかったけど。「映画芸術」がアレな雑誌なのは知ってるのでそのバイアスもあるはある。
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