『her 世界でひとつの彼女』の世界観の延長上にある映画。
身体的な妊娠や出産は必要か?という哲学的な問いについて、夫婦はポッドの会社に頼らない、自分たちの手によるポッドからの出産を選択します。
その夫婦の行動は、子供への愛着や責任を能動的に感受したいという親への自覚が理由のように思われます。さらに、身体的な出産を疑似体験することでよりその自覚が強固なものになると本作は考えているが故に、映画の最後にそのような選択を夫婦にさせた訳です。すなわち、未来でも以前として夫婦が親になるには、出産という身体的な体験は必要であるとの立場を本作は支持しています。
では、果たして身体的な出産は必要か?については哲学的さらには倫理的問題に立ち入ることになるので、私には荷が重い為、控えさせて頂きたいと思っております。
とはいえ、私の立場を少しだけ申し上げますと、ポッドが存在するのであれば、身体的な妊娠も出産も必要ない、との立場です。
本作みたいにポッドを自宅へ持ち帰り世話をするという本末転倒なことは、私には理解に苦しみます。
また、近未来では妊娠や出産をポッドによるアウトソーシング化しているのにも関わらず、育児を完全にアウトソーシングして施設化しないことに不思議を覚えました。
自分の子供は育てたいが、自分のお腹の中では育てたくない、ということなのでしょうか?
どちらにせよ、女性でも親でもない私の考えも、近い将来変わるかもしれないですし・・・結婚とかなんかしちゃったりして・・・😓
本作で一つ疑問だったのは、夫がポッドを世話してたら愛着を持ち始めたのには、そこはかとなくヤバいフェロモンでもポッドから噴出してるのでは?と勘繰りたくなる程お世話するのは男として絶対ありえないと思います。それでないとイクメンがこんなに世間から賞賛されるのは変だと思います。
すいません、あと一つだけ。そもそも自然妊娠と人工妊娠であるポッドのどちらかで喧嘩するのなら、両方選べば良いのでは?と思いました。それがメリットだから。費用の高さがデメリットだとしても。