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スペアキーのSPNminacoのレビュー・感想・評価

スペアキー(2022年製作の映画)
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ヴァカンスは日常からの逃避、逸脱。フィフィにとってのヴァカンスは、スペアキーでこっそり入り込んだ友人の留守宅だ。そこには赤ん坊の泣き声や弟の喚き声、理不尽な使いっ走りをさせる家族もない。代わりに、鉢合わせした友人の兄ステファンと過ごす自由で穏やかな時間があった。
雑然と狭苦しい団地で大人と幼児に挟まれたフィフィ。騒々しく疲れ果てた日常に1対1で向き合う余裕などない。でもあの家ではお互い一個人として出会い、2人は向き合って作業しゆったりと会話する。
次第に画面にはマグカップ、壁紙など沢山のエメラルド色が非常に目につくようになる。中でもフィフィのパーカーとステファンのTシャツ、エメラルド色と青の配色はまるでペアルック。但し、日常から離れて帰る場所、逃げ出したい場所を探しながら、ここに留まるモラトリアムの意味は違う。そしてヴァカンスには必ず終わりがある。
15歳の危うさはありつつ、フィフィは賢いからこそわきまえてしまう子だ。自分とはかけ離れた場所へ出かけ視野が広がる中でも、表面上は淡々とやり過ごし、どうせこんなものだから…と飲み込んでしてしまうのが切ない。でもフィフィもステファンも周囲も同じところには留まれないし、同じようにはいられない。エメラルド色の車に乗って本当のヴァカンスに出たフィフィは、初めての海の先にある景色を見つめる。
子ども時代は逃げるのに自転車しかない、自由を得る車は大人のもの、ってのがさりげなくじわりと効いていた。ステファンや恵まれた家庭の人たちが特別に描かれないように、育つ環境としてよろしくないフィフィの母親や姉たちも一面的ではない。どちら側も見知らぬ他者を招き入れるし、それぞれ子どもとしてフィフィを見ていて、そこに不完全ながら大人の優しさが滲む。アントワーヌ・ドワネルの系譜を継ぐようで、丁寧にきっちり違いを見せる最後の場面よ。「大人は判ってくれる」のだ。
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