三樹夫

アキレスと亀の三樹夫のレビュー・感想・評価

アキレスと亀(2008年製作の映画)
3.1
絵画芸術家の男の苦悩の映画だが、主人公はどう考えてもたけしというか中年期からは本人が演じているし、絵画を映画に置き換えれば映画監督北野武についての映画だ。タイトルは亀にアキレスが追い付けないという有名なパラドックスで、実際には追い付けないわけないんだけど数学をかじっているとそうかもなと納得してしまうこともあって、同じく芸術においてもコンセプトアートとか、コンセプトが何だかんだと言われると訳が分からないけど納得してしまうというのでこのタイトルになっている。

金持ちボンボンの幼少期から青年期そして中年期が描かれているが、芸術家がどんどん迷走していき、特に中年期の迷走ぶりには拍車がかかりもはやコントのようになる。カット切り替わって救急車で運ばれているのは笑ってしまう。たけし映画は娯楽作品を作ろうとすると笑いのシーンにはたけし軍団が出てきてコントが始まると、途端に説明的になり謂わばテレビ的になるという欠点があったが克服されている。またたけしは熱演する人およびそういう映画になるのが嫌いで、そもそもそういう役者を使わないか役者が迫真演技をしようとするとカメラが凄く引くが編集で切るかしていたが、今作では中尾彬など濃い演技をする人をしっかり使って成立させており、それら今作での好感触が次作『アウトレイジ』で結実したけし映画初の娯楽作品として完成する。
DVDの特典によると、主人公は子供の時に周りからおだてられその気になってしまった才能の無い芸術家だが、成功しなくても好きな芸術に関わっているのだから幸せなのではという映画になっている。この芸術を映画に置き換えると映画監督たけしの自嘲ともとれる。

幼少期自分の好きなようにヒラメの画を描いていたが、目は横ではなく縦だよという良く言えば教科書通り悪く言えば凡庸なアドバイスを貰ったことが迷走の萌芽となる。芸術においてヒラメの目を横ではなく縦に描くことが必ずしも正解ではないだろう。
幼少期と青年期の主人公はもの凄いASDっぽい。幼少期に出会った芸術家又三は知的障害者だ。それにしても三又又三が凄いいい役をしている。又三が訪ねてきて一緒に遊ぶシーンは、『ソナチネ』で童心に帰り遊んでいるシーンのようなノスタルジーがある。

青年期は大学を中退してフリーターをしつつアングラ文化に入っていた浅草に行く前のたけしに思える。偶然性に頼りスゴイ芸術的なものが生まれるのではないかと試みるが上手くいかない。前衛芸術をしている時も電撃ネットワークのパフォーマンスを観ている時も主人公は一人ぬぼーっとしており、何か違うと溶け込めていない様が柳憂怜のぬぼーっとした容姿も相まって強調される。そういえば『3-4X10月』でもぬぼーっとした主人公を演じていた。
アフリカで腹をすかせた人の前にピカソとおにぎりを出せばだれでもおにぎりを取るというのはたけしの著書で見かけたことがある。閉店セールで首吊りの広告にして社長にダメ出しされるのは、一般受けせずヒットしないたけし映画そのものだろう。

中年期に入り青年期よりその気があったが、批評家の言うことを気にして振り回されていく。1作目を持ち込んだ時に「独学じゃダメだよ専門的に勉強しないと」と言われるがこれは『その男、凶暴につき』だろう。『その男、凶暴につき』は度々何これというプロの演出から離れたカットが出てくる。酷評された主人公の1作目の絵画だが、後に高級そうなどこかのロビーに飾られており、それが後年では普通に名作として扱われる『その男、凶暴につき』と被る。
ちゃんと専門的に勉強して持ち込んだ絵は既存のものの影響丸出しと言われる。これはゴダールの『気狂いピエロ』の影響丸出しだった『ソナチネ』だろう。『ソナチネ』に関わらずゴダール、フェリーニ、ジャック・タチなどの影響を受けた映画をたけしは作っていく。そしてちょっと褒められた絵の再生産路線は『ソナチネ』のバージョン違いの『HANA-BI』や『BROTHER』であろう。売れない画家の自画像なんか誰が買うんだよといわれるが、ヒット作に恵まれない映画監督たけしはまさにこの映画のように自身についての映画を作っている。
劇中の批評家は全くの的外れというわけではなく、コンセプトアートで白人に踏みつぶされるアフリカなら、足跡ではなく革靴だし色は白にしないとダメでしょともっともなことも言っていることから全くの的外れというわけではないことが分かる。
何の画を描いても売れず貧乏な主人公はヒットしない映画監督たけしと同じだ。唯一の例外として『座頭市』はヒットしているが、当時のフィルモグラフィーではそれ以外は当たっていない。流行ったアートを真似てシャッターに落書きするシーンでヒットすることへのこだわりはあることが分かる。また売れずに困窮する主人公というのも、たけしは映画がヒットしないことに苛まれているように思える。

著書で度々出てくるのがシマウマとライオンの例えで、ライオンはシマウマの群れにちょうどいい距離でずっと引っ付いていなければならない。近すぎるとシマウマは逃げてしまうし、遠すぎるとシマウマを捕食することが出来ない。ちょうどいい距離を保つのが大事だ。これをシマウマは観客でライオンは映画監督に置き換えると、映画監督にとってのちょうどいい距離とはライオンはシマウマの半歩先と言っている。あまりにも先に行き過ぎると観客はついてこれないし、シマウマと同じ位置や遅れた位置にいると大したことない映画だなとそっぽを向かれる。
たけし映画においては半歩先の距離をずっと模索しているように思う。観客としてはシマウマと同じ位置や遅れた位置の映画とか退屈な映画だなと思うが、その年その年の興行収入ランキングとか見てみると結構シマウマと同じ位置や遅れた位置の映画でもヒットしていることが分かる。ヒット=良い映画でないのは『ROOKIES-卒業-』が2009年日本の興行収入年間1位ではっきりしていると思うが、映画監督はヒットするしないは重要なファクターなんだろうな。たけしはバラエティで稼いだ金を映画にぶち込めるけど、他の監督は大コケしたりヒットが出なかったら干されて映画撮れなくなるしね。
個人的には2003年年間ランキング1位『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』、1986年年間ランキング1位『子猫物語』、1982年年間ランキング1位『ブッシュマン』などの状態を見ると売れてるからいいとは思えない。
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