くじら

ぼくを葬る(おくる)のくじらのネタバレレビュー・内容・結末

ぼくを葬る(おくる)(2005年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

 死を前にした青年が、家族や恋人に明かさなかったり、祖母に打ち明けたり、子どもを託したり緩やかに死に向かう時間を描いていた。

あらすじ
 冒頭、巻毛の少年が黒い海パンで砂浜を走っていく。
 主人公のカメラマンのロマンはある日撮影中に倒れてしまう。そこでガンが肝臓と肺に転移し余命が数ヶ月だと知らされる。医者には若いから少しでも助かる可能性のある化学療法を試さないかと言われるも断る。余命のことで気が立っているロマンは家族の集まりでも子どもが好きだが同性愛者で今は子どもが持てないこと、離婚しようとする子持ちの姉の数年後には養子が認められるようになるという励ましに苛立つ。食事中も姉に対して煽って喧嘩別れしてしまう。また、幼馴染の恋人にも病気のことは言わずに別れてしまう。
 ロマンは自分に似ていて死に近い祖母にだけ病気のことを打ち明ける。祖母は夫が死んだ時息子であるロマンの父を置いて愛人たちと暮らしてきたが、それがないと死んでいたと、生存本能だと言う。ロマンは子どもの頃姉と過ごした時間を思い出しながら祖母と別れる。
 その後立ち寄ったカフェで再会した女性に夫が不妊のため、子どもを産むためにセックスしてくれないかと頼まれるも保留にするロマン。
 姉からの手紙を読み、ロマンは姉が子どもと戯れる様子を見守りながら、少し離れた場所から電話して謝り写真を撮って去っていく。また教会で幼い頃の恋人と自分を思い出して恋人に再び会う。最後にセックスしてほしいと頼むも断られ、ロマンはカフェで会った夫婦と3Pし子どもができる。2ヶ月後、子どもを自分の遺産相続人にして夫婦と別れる。
 海に行き、タオルと水泳具とアイスを買い鳴る携帯をゴミ箱に捨て、海で泳ぐ。転がってきたボールとかつての自分の思い出を重ねるロマン。砂浜に1人眠るように取り残され終わる。

感想
死の受け入れ方
 生きたいと足掻くでもなく死を積極的に受け入れるでもなく、どこか諦めと曖昧さを感じるような時間だった。どこか自分勝手で、でも関係が悪くなったまま死んでしまいたくもなく、子どもも作ってしまうという、祖母に似た奔放さを感じる。
 家族の食事では姉にモデルしか撮らないと言われて同意するも、恋人や祖母、子どもと戯れる姉を撮影したり時間を切り取りたかったのかなと思った。
 所々に子どもの頃の自分を思い出しているのも、自分を振り返っているのかなと思った。写真も見返していたけど、よく思い出していた姉たちと仲良く遊んでいたあの時間がとても大切で戻りたかったのかなとも思った。

性の描き方
 ロマンは子どもがおそらく好きで、でも同性愛者のため、制度上まだ養子を迎えることができないという現実的な面に苦しんでいた。その一方で性に奔放でバーの地下で他人のセックスを見たり、医者や父母や子どもの自分と寝ることを夢に見ると言ったり、夫婦とセックスしたり、セックスで生を感じるかのような抽象的な面も感じた。

描き方について
 最初の景色と最後が重なっているのがいい。ロマンの役の人の顔の良さを鏡やガラスで表現することに執念を感じた。主人公の身体が段々やつれて細くなっていく表現も良かった。
 とても緩やかな死だが、自分勝手なところ、やさしさ、葛藤が描かれていてよかった。



 
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