眠れないよ

悪は存在しないの眠れないよのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.5
火を起こすための薪割り、鍵盤を叩くための山鳥の羽根、鹿の骸。人間の営みのために消費される木々や動物たちの姿が繰り返し映される。鹿の骨を見たとき、花が「かわいそう」と言わなくて本当によかった。他の命を奪って生きている私たちがそんな言葉を放ってしまうと、そこに善悪が生まれてしまう。鹿の命を奪った者を悪と呼んでしまう。

他の命に対し、そういう言葉をかけないことを選ぶこと。「悪は存在しない」とはきっとそういうことだ。

子どもを探すワンシーンはトトロを思い出させた。地域住民と都会の人々の対立、粗雑に見えた人々の個人的な姿を映してそれぞれの事情を思わせるような演出。使い古されたようなテーマや展開が続く。観たことのある景色の焼き直しばかりだが、それをオマージュだとは思わない。むしろ、その「観たことのある景色」ということこそが大切なのだと思わされる。

三人の車内での会話、鹿の通り道を塞ぐために柵が必要なこと、3mの柵に囲まれる場所に人々が来たいと思うのかわからないという巧の言葉から始まり、けれど人を避ける鹿の習性から柵は必要ないのではないかという返答に巧が言葉を詰まらせ、それから鹿はどこに行くのかという話に二人が言葉を詰まらせる。対話によって自身では想像し得なかった場所に行き着ける人々の描写があまりに尊い。彼らが、私たちが直面しているのは未曾有の問題ではない。誰も悪と呼ばずに、ただ対話をすること。ありふれた焼き直しの景色だからこそ、そこのみで生まれる対話が美しく鈍く光るのだろうと思う。


木々を撮り続ける水平移動のカメラワークにヴァルダの冬の旅を思い出した。ヴァルダは砂浜や均一に並べられた木箱や檻、規則性のある模様をカメラで捉え続け、社会の規則性から逃れようとするモナを描いたのではないかと僕は解釈している。
濱口竜介が同じく水平移動のカメラで撮る模様は、規則性のない木々の羅列だ。執拗に撮られるその規則性のなさが、僕たちが向かおうとしている未来のように思えてくる。どこに枝分かれするかわからず、枝と枝は伸びた先で擦れあいぶつかり、その棘で私たちは血を流したりする。この木々を抜けた先に空は見えるのだろうかと夢想する。地を見下ろすと山鳥の羽根が落ちている。ならば空はきっとあるのだろうと、空が見えない場所で僕たちは想像できる。その想像で言葉を交わして、同じ場所に向かえるように私たち人間はできている。悪は存在しない。
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