このレビューはネタバレを含みます
「これは君の話になる」
「バランス」
「上にいる人間の義務」
長野の美しい自然。冬を装った木々、一面を覆う雪、長野の自然を棲家とする鹿、透き通る混じり気のない水。
はなちゃんの洋服の色彩。
目で観る愉しさに、石橋英子さんの音楽、耳で聴く愉しさもあり、五感で感じることができる美しさがある。
セリフが必要最小限に削ぎ落とされているように感じたが、そんな中でも、セリフによる個々の人間の重みが伝わるシーンが2つ。
東京の芸能事務所が開催した、グランピング会場設営に関する説明会での、高橋・黛と長野水挽町の住民との会話。
そして長野に巧に会いに行く高橋と黛の、車の中での会話。
長野の水挽町に住む住人は、必要な言葉を必要な時に必要な人に話すだけ。
反面、高橋と黛の会話には、現代でありふれている様子とも見て取れるが、仕事の愚痴から、プライベートな悩み、結婚、マッチングアプリ、将来のことなど、洪水のように溢れ出る情報や選択肢に溺れているようにも思える。
会社からグランピング場設営の仕事を任されたものの、政府のコロナ助成金のために本業ではない事業を始め、且つずさんな計画を投げ付けられて憤慨した高橋のセリフ。「知らねえよ。なんで俺らがこんな仕事やらなきゃいけねえんだよ。興味ねえよ」と言う傍ら、「会社やめてキャンプ場の管理人でもやろうかな」と口走るが、「なんだかしっくりくる」と結論づける始末。
彼らが溢れ出る情報や選択肢を、本当に自分で考えて選びとっているかは甚だ疑問だ。
グランピング会場設営の説明会での巧と区長の言葉が、削ぎ落とされたセリフで構築される映画の中で、静かな輝きを放っていた。
「何事もバランスが大事だ」
「上にいる人間には義務がある。上で起こった出来事が下に蓄積されて大きな影響を及ぼす」
巧自身も自然と調和を保って生きているように思えるが、劇中局所で示唆される家庭事情の影響もあるのだろうか。最後、娘の危機を感じた瞬間、予兆もなく豹変したようにバランスを崩して人間の攻撃性を見せる。人間と自然の関係も然り。人間はこのまま、自然の調和が崩れている音も聞こえぬまま、自然が急に牙を剥いたと言い放つ時が来るのだろうか。その未来はそう遠くないように思える。
最後、はなちゃんに迫った危険が、自然と共存してきた人間のこれからの未来へ警鐘を鳴らしているように感じた。