ブサ猫太郎

ある閉ざされた雪の山荘でのブサ猫太郎のレビュー・感想・評価

ある閉ざされた雪の山荘で(2024年製作の映画)
3.4
劇団の最終オーディションで山荘に集められた7人の男女。脚本家からの課題は、「大雪で閉ざされた山荘」の設定で3日間に起きる事件を解決すること。そしてここから1人また1人と仲間が消えていってしまう。はじめは課題の一環だと思っていたメンバーたち。しかし、血の付いた凶器が見つかり一変する…

山荘にあつめられた7人の男女がオーディションの課題ではなく、本当の殺人事件に巻き込まれてしまう物語。

2024年、年明け早々に公開された『ある閉ざされた雪の山荘で』。東野圭吾原作の作品ということで期待値高めで映画館へ。しかし、蓋を開けてみたら微妙な出来栄えでガッカリ。本当に東野圭吾作品?と疑う程の内容で映画を見終わった後すぐさま本屋へ。案の定小説を確認してみると幾つか違う点が。映画化したことで良さが潰れてしまった印象。

ここからはその中でも特に気になった5つのポイントを指摘。

まず1つ目が、冒頭の目隠し。
主人公の久我を除いた全員がアイマスクをしてバスで移動。登場人物は目的地を知らない・初めて行く場所という印象付けをしたかったのだと思うがあまりにも不自然な演出。目隠しでバスをどうやって降りたんだ!とツッコミしてしまうほど。
特殊な装置を使った殺人(事前に下準備がいる細工)をしている訳ではないので要らないのでは?
ちなみに原作ではこの部分は一切なく山荘からのスタート。

2つ目は、アガサ・クリスティの本だけ置いていること。
作中では演出家が用意したとされるアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』。原作ではその他にも何冊かあったのに映画では何故かこれだけに。そのために犯人の目的が分かる人には初っ端で発覚してしまう事態に…

3つ目は、何故かアリバイを証言してくれない本田。
久我がアリバイを作るために一夜を共にした本田。それなのに何故か本田は久我のアリバイを証明してくれないと言う謎の展開。原作ではメンバーの混乱を避けるために久我も了解のうえで話さないという流れの様子。
しかし、映画ではそうした細やかなところを省いているため本田の怪しさが増すだけに…

4つ目は、中を見せない井戸。消えた死体があるではと久我たちが目をつけたのは裏口にある井戸。しかし、何故か井戸の中は見せない。付近に消えた人の服の繊維があるからたぶん殺されて…という雑な処理。ここからの展開が丸わかりすぎる。
原作では井戸が暗くて見えませんでしたという流れで読者の想像を膨らませる書き方に。文字から映像にした弊害に感じる。

ラスト5つ目は、どうして呼ばれたか分からない久我。主人公なんだから登場して当たり前でしょと思うところだが、本作では違和感しかない。
まず前提をお話すると、主人公は最終オーディションとして呼ばれたフリーの俳優。しかし、実際には偽オーディションで本当の目的が劇団員への復讐であることを考えると途端に存在意義が消滅。わざわざ呼ぶ意味があったのか?そのために事件の真相が暴かれてしまうという結末に。犯人は何をしたかったんだ…
もちろん、東野先生がそんな初歩的なミスをするわけがない!原作はオーディションに合格したメンバーによる合宿というていで集められている。そのため、自然な流れで登場するキャラクターになっている。

こうしたお粗末な箇所が散見するために本作はどうしても映画としてのクオリティは低いと感じてしまう。しかし、限定的なクローズドサークルや2重3重の構造などの発想は面白い!そのため、映画ではなく小説で読んだほうがいいかも知れない。