赤苑

52ヘルツのクジラたちの赤苑のネタバレレビュー・内容・結末

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

(※酷評注意)
最初から最後まで何ひとつハマらなくて、一周回って清々しかったなぁ。全部ハズしてる。好きか好きじゃないかで言ったら、全然好きじゃない映画だった。どうしても捻くれ者なので、後半は周りみんなすすり泣いてたけど、その中ひとりで爆笑してた。あくまで好みの問題で、おれは好みじゃなかったってだけで、大前提として物語そのものを否定するわけじゃないんだけど、一本の映画として観た時、この作品が良いとは到底自分には思えないな。
序盤からいきなり"劇的"すぎて、敷かれたレールに乗れない。貴湖のルーツをなにも知らない状態でぽろぽろ泣かれてもどんな顔して観たらいいのか分からないし、ってのが率直な気持ち。冒頭から説明台詞をつらつら喋って、急な土砂降りの中で泣かれても。涙ってそんなに安売りするものじゃない。全体的にそうだけど、登場人物全員がいきなり行動に移しているような印象で、点と点が並べられてるだけというか、動機が薄すぎて行動に説得力が皆無というか。物語的なターニングポイントの間あいだをもっと丁寧に掬い上げればこうはならない。涙したり、怒ったり、人間が激情を表す時には必ずそこに至る流れと理由があるはずなのに、ただ激情だけを並べてもリアルからは離れていくばかりだよな。映画である以上、絶対に一定のリアリティは捨象せざるを得ないけど、この映画は複数の面でそれを捨てすぎてて、さすがに嘘すぎた。
色んな社会問題的なテーマが含まれてるけど、ひとつひとつが雑すぎてぼやけている。ヤングケアラーの問題。"なぜ"そうなったかが語られるのは貴湖の短い説明台詞の中だけで、の割には母親はすぐに殴るし、貴湖は貴湖で母元から出た後でいきなり泣き出して車から降りて道端で吐くし。そこまでの母娘間の執着って、本当にそれだけで語れてる? 文脈が見えない。安吾のトランスジェンダーの問題。これはまだ良い方だけど、机上にある処方箋に書かれた「トランスジェンダー」の文字をこれでもかと映されると冷める。その前後でなんとなく察せるし、もっと丁寧に描写すればもっとみんな察せるようになるから。とにかく説明臭さが漂う台詞ばかりで興醒め。ネグレクトの問題。これはそもそも結末が疑問というか、お婆ちゃんの忠告通り、やってることは社会的に見たら誘拐そのものなんだから、そこの危うさが提起されないのはちょっと。その点でいうと『流浪の月』の方がまだマシ。無理くり感動的なハッピーエンドを観せられても、そこから得られるカタルシスは当然ない。あとヤンママは西野七瀬で合ってるか?ここミスキャスト感凄い。取ってつけたようなやさぐれキャラというか、まさに情報だけ上乗せして伝播させられてる感じ。顔を突っ込んでくる貴湖に対して「被害者ヅラしやがって」みたいなこと言うのは超良いんだけど、その台詞がそこで終わりというか、全体に効いてこない。人工的な感動ムードの向こう側で、よく観たら貴湖も安吾も安吾母も新名も、愛以外はみーんな結局被害者ヅラしてるのに。気付いてる?全員、自己批判が足りてないんだよ。現実甘くないぞ。
物語の語り方、テーマの含ませ方、この二つが性急すぎるから、もちろん登場人物の本物らしさも薄い。まぁ新名はいわゆる有害な男性性の象徴なんだろうけど、あまりに噛ませ犬感が強すぎて苛立ちもしないというか、一周回って可愛く見えてくる。嫌なキャラクターなんだったら、観客をもっと本気で嫌な気持ちにさせるぐらいやらないと。そして男性優位の異性愛至上主義的な新名が完全に悪かというとそんなこともなくて、貴湖は貴湖で安吾に男女交際を求めるし、新名との愛人関係も受け入れてる訳で、自らそれに追従してる節も明白にあって。安さん、安さん、って言う割には本当に理解しようとしていたのかね?って疑問。もちろん自分でそれに気づいたからこその終盤の安吾への懺悔なんだろうけど、時すでに遅しというか。死んでしまった人に何語りかけてもそりゃ感動的になるに決まってるんだから、狡いよなあ。安吾も安吾で語る台詞がいちいち劇的というか、初対面の貴湖にいきなり名言めいたこと言うし、ずっと地に足ついてない感じは拭えない。なぜ見ず知らずの貴湖を救い出したかったのか?それが運命だからなのかもしれないけど、そこにこそ感情の機微があるはずなのに。安吾のトランスジェンダーとしての苦悩、例えば10代の時には短い説明台詞では到底おさまらないような苦しみがあっただろうに。どれもほとんど語られないのが勿体なさすぎる。そもそも貴湖のルーツも多くは語られてないし、生い立ちが恵まれなくて辛いのはわかるけど、そこにリアリティが伴ってないからどうしても"不幸ポルノ"に見えてしまう。語られないのが悪いことじゃなくて、それが説明台詞で表面上の情報としてだけしか伝播されないから、ずっと入り込めないんだよな。
情報としてのみ伝わってくる不幸要素が積み重なっていって、気付いたら感動ポルノにすり替わっていて驚いた。ヤングケアラー、セクシュアリティ、ネグレクト、どれも全く解決しないまま、安吾が死ぬことで一気に感動的になっていくの、さすがに受け入れられないな。例え安吾が100%いい奴だとしても、安吾に失礼。貴湖の安吾への懺悔も、若干的外れ。勝手に昇華した気になってるけど、一人間として貴湖が自分を幸せにする力を発揮できなかったのが安吾は悲しかったわけで、性別うんぬんの話より一次元上の話じゃないかな。安吾も新名宛の手紙と遺書はさすかに身勝手というか、あまりに若すぎる行動なので自業自得感もあるし。とにかく過剰な音楽のせいで強引に感動ムードが演出されていって、ハッピーエンドもどきがやってくるけど、起こってることはなにひとつハッピーじゃないし、登場人物たちはなにもわかってないのにわかったふりしてるし、もはや地獄。
リアリティを捨てすぎているのはまず台詞から。「どうしてこんなことに?おれがなにをしたっていうんだ!」みたいな台詞、現実に放たれててさすがに笑ってしまったし、新名も安吾も地面に崩れ落ちて悔し泣きみたいな描写があまりに劇的すぎて、なんだそれって感じ。日本はどうしても「やあやあ我こそは〜」的な"見栄"の文化が根強いし、半沢直樹的な劇台詞ドラマの影響も強いけど、このタイプの映画でそれやっちゃうと駄目だと思うけどなあ。あとは52ヘルツのクジラの声が"聞ける"ってのが映画化の最大の意義といっても過言ではないだろうに、そこに台詞重ねたら台無しじゃん。最後に出てくる迷いクジラもデカすぎるしダイナミックすぎるしでゴジラかと思ったし、孤独な一匹って感じは全くしないよね。あと空港の待合室で話す場面、遺骨はあんまり飛行機持ち込まないのでは。安吾の遺書もあんな書き方するかな。風呂場での自殺も手首からの流血では死ににくいぞ。貴湖の脇腹の傷も、序盤で倒れ込んでまで痛がってたのにクライマックスではこれでもかと走ってるし。美晴は彼氏どうした。描写の整合性が要所要所であまり取れてない。とにかく"人間を駆動させるために使われる世界"なのが鼻持ちならないというか。そんなに都合よく雨は降らないし、空は晴れないし。照明もあまりに不自然に人工的な場面がいくつか目に余る。一定のリアリティを捨象せざるを得ない映画というメディアにおいても、あくまで世界は人間より強い力を持つ上位の存在として位置付けられるべきで、"世界の中で駆動する人間"であるべきだというのが持論なので、これがこの映画がハマらなかった最大の理由かな。
めったに酷評とかしないんだけど、久々に全くハマれない映画にあたったので、かなりきつい言葉で書いてしまった部分もあるけど、あくまで個人的な好みなので、この映画で感動できる人がいるのは当然理解できる。でも自分は一滴も泣けなかったし、絶対に泣きたくなかった、それだけ。この映画が手放しで広く受け入れられることに歯痒さもあるけれど、この映画に関する杉咲花さんのインタビューがとてつもなく良かったので、そちらを読んでください。

https://www.cinra.net/article/202403-52hz_iktay
赤苑

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