KOTAYOSHIDA

コンクリート・ユートピアのKOTAYOSHIDAのネタバレレビュー・内容・結末

コンクリート・ユートピア(2021年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

『es [エス]』みたいな映画だなと思った。それは人間の生き方そのものであるとも言えるんだけど、背負った役割にその人の人間性が引っ張られていくというか、例えばO型の人ってこういう性格!みたいなことを自分で認識すれば徐々にそういう人間になっていってしまいみたいなそういう感じの。気が弱い人にあえてリーダーを任せると徐々にリーダーらしい気の強い人になっていくみたいなものありますよね、そういうの。

よくこういう「人間の本質」を描いた作品って"結局一番怖いのは人間!"みたいな結論に着地しがちなんだけど、じゃあ人間が狂気に染まってしまう原因の本質的な部分でいうというと「弱さ」とか「脆さ」だったりするんですよね。弱いからこそ「社会的役割」みたいなものに引っ張られてしまうし「社会的役割」が無いと不安になるし、何よりそれに寄っかかれば楽だし。弱いから群れて暮らさないと無理だし、一人は寂しいし、死ぬのは怖いし、傷つきたくない。傷つきたくないから攻撃する。弱いのがバレたくないから攻撃する。そして人間は弱く脆い生き物だからこそ、それを知ってるやつらはそこに付け込んだ詐欺みたいなビジネスとかをしたりする。でもそういうやつらも同じですよ、結局は弱い人間なんですよ。

あとやっぱね人間は弱いからこそ、強い人が怖いんですよ。キム・ドヨン演じたドギュン、彼はアパート内の社会に非協力的なアウトサイダーでどんどん孤立していくんですが、狂気に侵されず自分の正しいと思うことを最後まで貫き通した真っすぐで強い人だった。だからこそああいう顛末になってしまったのは胸糞でしたが、唯一好きな登場人物でした。

話は逸れましたがこの映画を観ながらずっと考えてたんですよね。自分だったらどうするんだろうみたいなこと。正直フィクションをフィクションとして受け入れられないくらいにフィクションと現実世界との距離が近くなってきている気がする。SFとかに関してもそうだけど、ポストアポカリプス的な意味でもそう。世界では今も虐殺が続いてるし、搾取も続いてるし、日本の社会だってどんどん悪くなってる。韓国映画が描く格差社会だって普通にリアルでしょ。日本の作品が描いてないだけで日本の格差もかなりエグイでしょ。俺だって全然金ないし。

ただ劇中で唯一「強い心」を持ち続けようとしていたミョンファが生き残ったのはしっかりと希望になっていて良かった。この映画の登場人物は全員"普通の人"だからこそ、心の持ちよう次第で希望を見いだせるという着地はとてもベタでしたがベタだからこそ直球で響くものがありましたね。
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